には人物が居なかったのか。もしくは居るとしても、天下を憂い、国を想う志士の気骨《きこつ》が筑前人には欠けていたのかというと、ナカナカそうでない。事実はその正反対で、恐らく日本広しと雖《いえど》も北九州の青年ほど天性、国家社会を患《うれ》うる気風を持っている者はあるまいと思われる。そうした事実は、明治、大正、昭和の歴史に出て来る暗殺犯人が大抵、福岡県人である実例を見ても容易に首肯出来るであろう。
維新前の黒田藩には、西郷南洲、高杉晋作に比肩すべき大人物がジャンジャン居た。流石《さすが》の薩州も一時は筑前藩の鼻息ばかりを窺《うかが》っていた位である。有名な野村|望東尼《ぼうとうに》を仲介として西郷、高杉の諸豪は勿論、その他の各藩の英傑が盛んに筑前藩と交渉した形勢は、筆者の幼少の時に屡々《しばしば》、祖父母から語って聞かされた事である。但しそれ等筑前藩の諸英傑が、何故に維新以後、音も香《におい》もなくこの地上から消え失せてしまったかという、その根元の理由に考え及ぶと、筆者も筆を投じて暗然たらざるを得ないものがある。
筆者の祖先は代々黒田藩の禄《ろく》を喰《は》んでいた者だから黒田様の事は
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