し》は大の仲好しで、二人で醤油買いに行くのに、わざと二本の太い荒縄で樽《たる》を釣下げて、その二本の縄の端を左右に長々と二人で引っぱって樽をブランブランさせながら往来一パイになって行くと往来の町人でも肥料車《こえぐるま》でも皆、恐ろしがって片わきに小さくなって行く。なかなか面白いので二人とも醤油買いを一つの楽しみにしていた。
或る時、その醤油買いの帰りに博多の櫛田神社の前を通ると、社内に一パイ人だかりがしている。何事かと思って覗いてみると勿体らしい衣冠束帯をした櫛田神社の宮司が、拝殿の上に立って長い髯《ひげ》を撫でながら演説をしている。その頃は演説というと、芝居や見世物よりも珍しがって、演説の出来る人間を非常に尊敬しておった時代じゃけに、早速二人とも見物を押しかけて一番前に出て傾聴した。ところがその髯神主の演説に曰《いわ》く、
『……諸君……王政維新以来、敬神の思想が地を払って来たことは実にこの通りである。真に慨嘆に堪えない現状と云わなければならぬ。……諸君……牢記《ろうき》して忘るる勿れ。神様というものは常に吾が○○以上に尊敬せねばならぬものである。その実例は日本外史を繙《ひもと》いてみれば直ぐにわかる事である。遠く元弘三年の昔、九州随一の勤王家菊池武時は、逆臣北条探題、少弐《しょうに》大友等三千の大軍を一戦に蹴散《けち》らかさんと、手勢百五十騎を提《ひっさ》げて、この櫛田神社の社前を横切った。ところがこの戦いは菊池軍に不利であることを示し給う神慮のために、武時の乗馬が鳥居の前で俄《にわ》かに四足を突張って後退し始めた。すると焦燥《あせ》りに焦燥っている菊池武時は憤然として馬上のまま弓に鏑矢《かぶらや》を番《つが》えた。
「この神様は牛か馬か。皇室のために決戦に行く俺の心がわからんのか。
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武士《もののふ》のうわ矢のかぶら一すぢに
思ひ切るとは神は知らずや」
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と吟ずるや否や神殿の扉に発矢《はっし》とばかり二本の矢を射かけた。トタンに馬が馳け出したのでそのまま戦場に向ったが、もしこの時に武時が馬から降りて、神前に幸運を祈ったならば、彼は戦いに勝ったであろうものを、斯様《かよう》な無礼を働らいて神慮を無視したために勤王の義兵でありながら一敗地に塗《まみ》れた……』
衣冠束帯の神主が得意然とここまで喋舌《しゃべ》って来た時に、自分《わし》と松浦愚の二人はドッチが先か忘れたが神殿に躍り上っていた。アッと云う間もなく二人で髭神主を殴り倒おし蹴倒おす。松浦が片手に提げていた醤油樽で、神主の脳天を食らわせたので、可愛そうに髭神主が醤油の海の中にウームと伸びてしまった。……この賽銭《さいせん》乞食の奴、神様の広告のために途方もない事を吐《ぬ》かす。皇室あっての神様ではないか。そういう貴様が神威を涜《けが》し、国体を誤る国賊ではないか……というたような気持であったと思うが、二人ともまだ十四か五ぐらいの腕白盛りで、そのような気の利いた事を云い切らんじゃった。ただ、
『この畜生。罰《ばち》を当てるなら当ててみよ』
と破《わ》れた醤油樽を御神殿に投込んで人参畑へ帰って来たが、帰ってからこの話をすると、それは賞められたものじゃったぞ。大将の婆さんが涙を流して『ようしなさった。感心感心』と二人の手を押戴《おしいただ》いて見せるので、塾の連中が皆、金鵄《きんし》勲章でも貰うたように俺達の手柄を羨ましがったものじゃったぞ。ハハハハハ」
人参畑の婆さんがいつまで存命して御座ったか一寸《ちょっと》調査しかねているが、とにもかくにも、こうした人参畑の豪傑青少年連は、その後《のち》健児社という結社を組織して、天下の形勢を睥睨《へいげい》する事になった。これが後《のち》の玄洋社の前身であったが、天下の形勢を憂慮する余り、近所界隈の畑や鶏舎を荒し、犬猫の影を絶ち、営所の堀の蟇《がま》を捕って来て、臓腑を往来に撒布するなぞ、乱暴狼藉到らざるなく、健児社の連中といえば、大人でも首を縮める程の無敵な勢力を持っていたものであった。
その中でも乱暴者の急先鋒は我が奈良原少年で、仲間から黒旋風李逵《こくせんぷうりき》の綽名《あだな》を頂戴していた。奈良原到が飯爨《めしたき》当番に当ると、塾の連中が長幼を問わず揃って早起をした……というのは、飯の準備が出来上るまで寝床に潜っていると、到少年がブスブス燃えている薪を掴んで来て、寝ている奴の懐中に突込むからであった。しかもその燃えさしを懐中に突込まれたまま、燃えてしまうまで黙って奈良原少年の顔をマジリマジリと見ていたのが塾の中にタッタ一人頭山満少年であった。そうして奈良原少年が消えた薪を引くと同時に起上って奈良原少年を取って伏せて謝罪《あやま》らせたので、それ以来二人は
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