すこし出来る支那人《チャンチャン》を引っぱって木賃宿へ帰って来ました。
その支那人《チャンチャン》は体温計《ねつはかり》と聴診器《みみラッパ》を持って来ておりました。私とツン州と二人で感心して見ております前で、約束通りにウンウン呻吟《うめ》きよる大惣の脈を取って、念入りに診察しますと病人の枕元で談判を初めました。
『この病人は明日《あした》の正午《ひる》頃までしか保《も》たん。死骸を蒲団に包んで私の家《うち》に担いで来なさい。高価《たか》く買います。私の店はこの頃開いた店じゃケニ高い。ほかの家《うち》は皆安い。死骸の片付けも皆して上げます。頭毛《かみげ》も首の骨もチャント取って上げます。生胆《きも》のほかに胃腸《いぶくろ》につながっている小さい青い袋を附けて下されば七円五十銭。それが温《ぬく》い中《うち》に持って来なされば十二円五十銭……』
支那《チャンチャン》坊主は掛値を云うものと思いましたケニ、思い切って大きく吹っかけました。
『イカンイカン。二十五円二十五円。一文も負からん。ほかの処へ持って行く。ほかに知っとる店がイクラでも在る』
『それなら十五円……』
『ペケペケ。絶対《たくさん》ペケある。二十五円二十五円。アンタは帰れ。モウ話しせん』
私は支那人の足下を見てしまいました。魚市場の伜だすけに物は云わせません。支那人《チャンチャン》坊主は未練そうに立上りかけました。
『そんなら十七円五十銭……ぬくい中《うち》……』
『ウーム……』
と私は腕を組んで考えました。ここいらが支那人《チャンチャン》の本音かなと思うておりますところへ、横から大惣が蒼白い手を伸べて私の着物の袖を引っぱりました。
『……ヤスイヤスイ……ウルナウルナ……』
『わたし。最早《もう》帰ります。十八円……いけませんか』
『ペケ……ペケ……オレノ……キモハ……フトイゾ……ペケペケ……』
『ええ。要らん事云うな。大惣……黙って呻吟《うめ》きよれ』
『ウンウン。ウンウン。水ヲクレイ』
『ホラ。遣るぞ。末期《まつご》の水ぞ。唐人さんドウかいな。もう死によるが。早よう話をばきめんとほかの処へ持って行くがナ』
とうとう支那人が負けて二十円で手を打ちまして、ほかの処へ持って行かぬように、五円の手附を置いて帰りました。
『ヤレヤレ。クタビレタ』
『ウンウン……ウンウン……スマンスマン……』
『モウ呻吟《うめ》かんでもヨカ。御苦労御苦労。こちの方がヨッポド済まん。ところで済まん序《ついで》にチョット待っとれ。骨休めするケニ』
私はその五円札を一枚持って飛出いて、近所の酒屋から土瓶に二杯、酒を買うて、木賃宿から味噌を一皿貰うて来ました。何しろ暫く飢渇《かわ》いておったところですから、骨休めというので、ツン公と二人で燗もせぬ酒をグビリグビリやっております、とその横で大惣がウンウン唸り出しました。又、私の袖を引きますので五月蠅《せから》しい奴と思うて振向きますと、大惣の奴、熱で黒くなった舌を甜《な》めずりまわしております。
『……オレ……モ……一パイ……ノム……』
『途方もない事をば云うな。馬鹿……その大病で酒を飲むチウ奴があるか。即死《しまえ》てしまうぞ』
大惣の落ち凹《くぼ》んだ眼の色が変りました。涙をズウウと流しながら歯ぎしりをして半分起き上ろうとします。
『ソノ……サケハ……オレノ……キモノ……テツケジャ……。オレモ……ノム……ケンリ……ケンリガ……アル……』
私は胸が一パイになりました。
『アハハハハ。これは謝罪《あやま》った。俺が悪かった悪かった。よしよし。わかったわかった。寝とれ寝とれ。サア飲め。ウント飲め。末期の水の代りに腹一パイ飲め……』
そんな状態《わけ》で、病人と介抱人が日本一の神様みたようになってグーグー眠ってしまいましたが、その中に大惣の声で……、
『オイオイ。湊屋。起きんか。モウ正午《ひる》過ぎぞ』
と云うて私を揺り起しますので、ビックリして跳ね起きますと……ナント……大惣が起きて、私どもの枕元に座っております。神霊《ごしん》の上がったようなポカンとした顔《つら》をしております。
『ウワア。貴様……起きとるとや』
『ウン。気持《きしょく》のええけに起きてみた』
『何や。……全快《なお》ったとや』
『ウン。今、小便に行《い》て来たが、ちいっとばっかしフラフラするダケじゃ。全快《ような》ったらしい』
『ウワア……それは大変事《おおごと》の出来《でけ》とる。いま全快《ような》っちゃイカン』
『イカンち云うたてチャ俺が困る』
『コッチも困るじゃないか。貴様の生胆《きも》の手附の金をばモウ崩いてしもうとる』
『何でもええ。貴様に任せる。生胆《きも》の要るなら遣る』
『馬鹿……今、貴様の生胆《きも》を取れあ、俺が懲役に行くだけじゃないか……おいツ
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