氏が、
「折角会えたのに惜しい事をした」
 とつぶやいた。頭山先生は又も股倉へ手を突込みながら、
「フフン。あいつは詰らん奴じゃ」

 まだある。
 これは少々グロを通り越しているが、頭山翁の真面目を百パーセントに発揮している話だから紹介する。頭山翁が玄洋社を提《ひっさ》げて、筑豊の炭田の争奪戦をやらせている頃、福岡随一の大料理屋|常盤《ときわ》館で、偶然にも玄洋社壮士連の大宴会と、反対派の壮士連の大宴会が、大広間の襖一枚を隔ててぶつかり合った。
 何がさて明治もまだ中途|半端《はんぱ》頃の血腥《ちなまぐさ》い時代の事とて、何か一《ひ》と騒動初まらねばよいがと、仲居《なかい》、芸妓《げいぎ》連中が心も空にサービスをやっているうちに果せる哉《かな》始まった。
 合《あい》の隔《へだ》ての襖が一斉に、どちらからともなく蹴開《けひら》かれて、敷居越しに白刃《しらは》が入り乱れ、遂には二つの大広間をブッ通した大殺陣が展開されて行った。
 大広間に置き並べられた百|匁《め》蝋燭《ろうそく》の燭台が、次から次にブッ倒れて行った。
 そうして最後に、床の間の正面に端座している頭山満の左右に並んだ二つの燭台だけが消え残っていた。これは広間一面に血の雨を降らせ合っている殺陣連中が、敵も味方も目が眩《くら》んでいながらに、そうした頭山満の端然たる威風に近づくとハッと気が付いて遠ざかったからであった。
 その頭山満の左右と背後の安全地帯に逃げ損ねた芸者仲居が、小さくなって固まり合って、生きた空もなくなっていた。しかし頭山翁は格別変った気色《けしき》もなく、活動のスクリーンでも見てるような態度で、眼前《めのまえ》の殺陣を眺めまわしていたが、そのうちにフト自分の傍《そば》に一人の舞妓がヒレ伏しているのに気が付くと、片手でその背中を撫でながら耳に口を寄せた。
「オイ。今夜俺と一緒に寝るか」
 これは頭山翁お気に入りの仲居、筑紫お常婆さんの実話である。この婆さんも亦《また》、一通りならぬ変り物で、ミジンも作り飾りのない性格であったから、機会があったら別に紹介したいと思う。
 この婆さんが黙って死んだのでホッと安心して御座る北九州の名士諸君が多い事と思うが、しかしまだまだ御安心が出来ませぬぞ。この婆さんから筆者がドンナ話を聞いているか知れたものではないのだから……。

 頭山翁のノンセンス振りと来
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