で鉄門の間に足を突込んで、死を決して駄々《だだ》を捏《こ》ね始め、終日看守を手古摺《てこず》らせた揚句《あげく》、やっと目的を達すると、その翌日からドシドシ肉を運び始めて大いに当局を弱らせたのもこの時の事であったという。
 そのうちに西南の戦雲が、愈《いよいよ》濃厚になって来たので、県当局でも万一を慮《おもんぱか》ったのであろう、頭山、奈良原を初め、健児社の一味を尽《ことごと》く兵営の中の営倉に送り込むべく獄舎から鎖に繋いで引出した。その時は健児社の健児一同、当然斬られるものと覚悟したらしく、互いに顔を見合わせてニッコリ笑ったという事であるが、同じ時に奈良原少年と同じ鎖に繋がれる仲よしの松浦愚少年が、護送の途中でこんな事を云い出した。
「オイ。奈良原。今度こそ斬られるぞ」
「ウン。斬るつもりらしいのう」
「武士というものは死ぬる時に辞世チュウものを詠《よ》みはせんか」
「ウン。詠んだ方が立派じゃろう。のみならず同志の励みになるものじゃそうな」
「貴公は皆の中で一番学問が出来《でけ》とるけに、嘸《さぞ》いくつも詠む事じゃろうのう」
「ウム。今その辞世を作りよるところじゃが」
「俺にも一つ作ってくれんか。親友の好誼《よしみ》に一つ頒《わ》けてくれい。何も詠まんで死ぬと体裁が悪いけになあ。貴公が作ってくれた辞世なら意味はわからんでも信用出来るけになあ。一つ上等のヤツを頒けてくれい。是非頼むぞ」
 流石《さすが》の豪傑、奈良原少年も、この時には松浦少年の無学さが可哀そうなような可笑《おか》しいようで、胸が一パイになって、暫くの間返事が出来なかったという。

 一方に盟主、武部小四郎は事敗れるや否や巧みに追捕の網を潜《くぐ》って逃れた。香椎《かしい》なぞでは泊っている宿へイキナリ踏込まれたので、すぐに脇差を取って懐中に突込み、裏口に在った笊《ざる》を拾って海岸に出て、汐干狩の連中に紛れ込むなぞという際どい落付を見せて、とうとう大分まで逃げ延びた。ここまで来れば大丈夫。モウ一足で目指す薩摩の国境という処まで来ていたが、そこで思いもかけぬ福岡の健児社の少年連が無法にも投獄拷問されているという事実を風聞すると天を仰いで浩嘆《こうたん》した。万事休すというので直《ただち》に踵《きびす》を返した。幾重《いくえ》にも張廻《はりま》わしてある厳重を極めた警戒網を次から次に大手を振って突破し
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