》って来た時に、自分《わし》と松浦愚の二人はドッチが先か忘れたが神殿に躍り上っていた。アッと云う間もなく二人で髭神主を殴り倒おし蹴倒おす。松浦が片手に提げていた醤油樽で、神主の脳天を食らわせたので、可愛そうに髭神主が醤油の海の中にウームと伸びてしまった。……この賽銭《さいせん》乞食の奴、神様の広告のために途方もない事を吐《ぬ》かす。皇室あっての神様ではないか。そういう貴様が神威を涜《けが》し、国体を誤る国賊ではないか……というたような気持であったと思うが、二人ともまだ十四か五ぐらいの腕白盛りで、そのような気の利いた事を云い切らんじゃった。ただ、
『この畜生。罰《ばち》を当てるなら当ててみよ』
と破《わ》れた醤油樽を御神殿に投込んで人参畑へ帰って来たが、帰ってからこの話をすると、それは賞められたものじゃったぞ。大将の婆さんが涙を流して『ようしなさった。感心感心』と二人の手を押戴《おしいただ》いて見せるので、塾の連中が皆、金鵄《きんし》勲章でも貰うたように俺達の手柄を羨ましがったものじゃったぞ。ハハハハハ」
人参畑の婆さんがいつまで存命して御座ったか一寸《ちょっと》調査しかねているが、とにもかくにも、こうした人参畑の豪傑青少年連は、その後《のち》健児社という結社を組織して、天下の形勢を睥睨《へいげい》する事になった。これが後《のち》の玄洋社の前身であったが、天下の形勢を憂慮する余り、近所界隈の畑や鶏舎を荒し、犬猫の影を絶ち、営所の堀の蟇《がま》を捕って来て、臓腑を往来に撒布するなぞ、乱暴狼藉到らざるなく、健児社の連中といえば、大人でも首を縮める程の無敵な勢力を持っていたものであった。
その中でも乱暴者の急先鋒は我が奈良原少年で、仲間から黒旋風李逵《こくせんぷうりき》の綽名《あだな》を頂戴していた。奈良原到が飯爨《めしたき》当番に当ると、塾の連中が長幼を問わず揃って早起をした……というのは、飯の準備が出来上るまで寝床に潜っていると、到少年がブスブス燃えている薪を掴んで来て、寝ている奴の懐中に突込むからであった。しかもその燃えさしを懐中に突込まれたまま、燃えてしまうまで黙って奈良原少年の顔をマジリマジリと見ていたのが塾の中にタッタ一人頭山満少年であった。そうして奈良原少年が消えた薪を引くと同時に起上って奈良原少年を取って伏せて謝罪《あやま》らせたので、それ以来二人は
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