ようである。
そこへ藩公が優柔不断と来ているからたまらない。佐幕派が盛んになると勤王派の全部に腹を切らせる。そのうちに勤王派が盛り返すと今度は佐幕派の全部を誅戮《ちゅうりく》する。そうすると藩士が又、揃いも揃った正直者ばかりで、逃げも隠れもせずにハイハイと腹を切る……といった調子で、最初から一方にきめておけば、どちらかの人物の半分だけは救われたろうに、藩論が変るごとに行き戻りに引っかかってバタバタと死んで行ったのだからたまらない。とうとう黒田藩の眼星《めぼ》しい人物は、殆んど一人も居なくなってしまった。たまたま脱藩して生野《いくの》の銀山で旗を挙げた平野次郎ぐらいが目っけもの……という情ない状態に陥った。
しかし世の中は何が仕合わせになるか、わからない。こうした事情で明治政府から筑前閥がノックアウトされたという事が、その後《のち》に於ける頭山満、平岡浩太郎、杉山茂丸、内田良平等々の所謂、福岡浪人の濶歩《かっぽ》の原因となり、歴代内閣の脅威となって新興日本の気勢を、背後から鞭撻しはじめた。……何も、それが日本のために仕合せであったに相違ないと断定する訳ではない。随分迷惑な筋もあったに違いないが、しかしそうした浪人の存在が、西洋文化崇拝の、唯物功利主義の、義理も、人情も、血も、涙も、良心も無い、厚顔無恥の個人主義一点張りで成功した所謂、資本家、支配階級の悩みの種となり、不言不語の中《うち》に日本人特有の生命《いのち》も要らず名も要らず、金《かね》も官位も要らぬ底《てい》の清浄潔白な忠君愛国思想を天下に普及、浸潤せしめた功績は大いに認めなければならぬであろう。
従って歴史に現われない歴史の原動力として、福岡人を中心とする所謂九州浪人の名を史上に記念しておく必要がないとは言えないであろう。
勿論浪人と雖《いえど》も生きた血の通う人間である。家族もあれば睾丸《きんたま》もある。生命《いのち》も金《かね》も官位も要らないとか何とか強情を張るにしても、そんな場面にぶつかる迄に何とかして喰い繋いで生きて行かなければならない。況《いわ》んやその命を捧げた乾児《こぶん》どもが、先生とか、親分とかいって蝟集《いしゅう》して、たより縋《すが》って来るに於てをやである。浪人生活の悩みは実に繋《かか》ってこの一点に存すると云っても過言でない。
だから……という訳でもあるまいが、彼等
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