た」
「アハハ。そうかそうか、それは色の黒い、茶の中折《なかおれ》を冠った、背の高い男だったろう。金縁《きんぶち》の眼鏡をかけた……」
愛子はビックリして顔を上げた。
「……どうして……御存じ……」
俺は直ぐに呼鈴《よびりん》を押して給仕を呼んだ。
「オイ。給仕、控室の石室《いしむろ》君にチョット来てもらってくれ」
「かしこまりました」
石室刑事は直ぐに来た。
「何だ何だ……ウンこの婦人かい。昨日《きのう》月島の渡船場《わたし》で一緒に乗ったよ。どうかしたんかい……ナニ。一緒に乗った職工かい、ウン知ってるよ。深川の紫塚《むらつか》造船所の製図引で大深泰三《おおふかたいぞう》という男だよ。社会主義者の嫌疑で一度調べた事がある。高等工業にいたとかいうがチョットお坊ちゃん風のいい男だよ。昨日《きのう》は俺の顔を見忘れていたんだろう。知らん顔をしていたっけが」
正直のところ、この時ぐらい狼狽した事はなかったね。社会主義者なんていうのは、見掛によらない敏感なもので、逃足の非常に早いものだという事がこの時分からわかっていたからね。
「ウン直ぐに行こう。重大犯人だ。君も一緒に来てくれ。詳しい
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