あなた》に感謝しなければなりません。昨日《きのう》偶然に僕と、貴女とあすこで二人|切《きり》になった事を、貴女は記憶しておられるでしょう。あの時、貴女の横に腰をかけていたのは警視庁の思想犯係の刑事だったのです。そう気付いた時に僕はモウ絶体絶命の立場にいる事を知りました。貴女の前の御主人の事を根掘り、葉掘り聞いた僕の顔を貴女は記憶しておられる筈でしたから。
そればかりでなく僕は、貴女が苦労に窶《やつ》れておられる姿を見てシミジミと自分の罪を思い知りました。すぐにも名乗ろうかと思いながら躊躇《ちゅうちょ》しておりましたが、その時に貴女は以前の通りの愛情の籠った眼でジイッと僕を見られただけで、そのまんま知らん顔をしておられました。貴女が僕に、どうかして無事に逃げてくれと云っておられる無言の気持がよくわかりました。
ああ。あの時の気持。僕の感謝の気持を、どうしたら貴女にお伝え出来ましょう。
貴女の前の御主人金兵衛は悪魔だったのです。貴女のそうした涙ぐましい純潔な心ばかりでなく、貴女の清浄な肉体、血液までも絞りつくそうとしている悪魔だったのです。ですから僕は、あの悪魔を懲《こ》らして貴女を
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