惑《みわく》のエースと認められている事だし、お出入りのお茶屋が又チャンチャン一流の形容詞沢山で……崑崙茶の味を知らなければ共にお茶を談ずるに足らず……とか何とか云って、口を極《きわ》めて誘惑《ゆうわく》するんですから、下地のある連中はトテモたまりません。それでは一つ……といったような訳で、思い切り莫大なお金をお茶屋に渡して、周旋を頼むことになるのです。
ところで崑崙茶を飲みに行く連中が、雲南、貴州、四川の各地方の都会に勢揃いをして出かけるのは、大抵正月過ぎから二月頃までの間だそうです。つまり崑崙山脈までの距離の遠し近しによって、出発の早し遅しが決まるのだそうですが、その行列というのが又スバラシイ観物《みもの》だそうです。
真先《まっさき》に黄色い旗を捧げた道案内者が、二人か三人馬に乗って行くと、その後から二三匹|宛《ずつ》、馬の背中に結び付けられた猿が合計二三十匹、乃至《ないし》、四五十匹ぐらい行くのです。その間間《あいだあいだ》に緑色の半纏《はんてん》を着た茶摘《ちゃつみ》男とか、黄袍《おうほう》を纏《まと》うた茶博士《ちゃはかせ》とかいったような者が、二三十人|入《い》り交《まじ》って行くのですが、この猿が何の役に立つかは後で解ります。それから些《すく》なくて三四台、多くて七八台から十台位の、美事に飾り立てた二頭立の馬車が行くので、その中に崑崙を飲みに行く富豪だの貴人だのが、めいめいに自慢の茶器を抱えて乗っている訳ですが、この時に限って支那富豪に附き物のお妾《めかけ》さんは、一人も行列の中に加わっておりません。全く男ばかりの行列なんだそうですが、その理由も追々《おいおい》とわかって来るでしょう。
その後から金銀細工の鳳凰《ほうおう》や、蝶々なんぞの飾りを付けた二つの梅漬《うめづけ》の甕《かめ》を先に立てて、小行李とか、大行李とかいった式の食料品や天幕《テント》なんぞを積んだ車が行く。その後から武器を持った馬賊みたような警固人が、堂々と騎馬隊を作って行くので、知らない者が見ると戦争だかお茶飲みだかチョット見当が付かない。ちょうど阿剌比亜《アラビヤ》の沙漠を渡る隊商ですね。とにかくソンナ大騒ぎをやって、新茶を飲みに行こうというんですから、支那人の享楽気分というものが、ドレ位徹底しているものだか、殆《ほと》んど底が知れないでしょう。
彼等はそれから嶮岨《けんそ》な山道を越えたり、追剥《おいはぎ》や猛獣の住む荒野原を横切ったり、零下何度の高原沙漠を、案内者の目見当一ツで渡ったりして、やがて崑崙山脈の奥の秘密境に在る、遊神湖《ゆうしんこ》という湖の近くに到着するのです。そこいらは時候が遅いので、ちょうどその頃が春の初めくらいの暖かさだそうですが、その景色のよさといったら、実に何ともカンとも云えないそうですね。
詳《くわ》しい事は判然《わか》りませんが、その遊神湖という湖の周囲には、歴史以前に崑崙国といって、素敵に文化の進んだ一つの王国があったそうです。ところが、その国民は極端に平和的な趣味を愛好した結果、崑崙茶の風味に耽溺《たんでき》し過ぎたので、スッカリ気力を喪《うしな》って野蛮人《やばんじん》に亡ぼされて終《しま》ったものだそうです。今でもその廃墟が処々の山蔭や、湖の底からニョキニョキと頭を出しているそうですが、その周囲には天然の森が茂り、高山風の花畠が展開して、珍らしい鳥や見慣れぬ蝶が、長閑《のどか》に舞ったり歌ったりしている。底の底まで澄み切った青空と湖の中間には、新鮮な太陽がキラリキラリと回転している……といったような絵にも筆にもつくせない光景が到る処に展開している。その中でも一番眺望のいい処に、各地方から集まった隊商たちは、先を争って天幕《テント》を張《は》りまわすと、手に手にお香《こう》を焚《た》いたり、神符《しんぷ》を焼いたりして崑崙山神の冥護《めいご》を祈ると同時に、盛大なお茶祭を催して、滅亡《ほろ》びた崑崙王国の万霊を慰めるのだそうですが、これは要するに、迷信深い支那人の気休めでしかないと同時に、お茶の出来る間の退屈|凌《しの》ぎに過ぎないのでしょう。
一方に馬から離れた茶摘男たちは、一休みする間もなく各自《めいめい》に、長い長い綱を附けた猿を肩の上に乗せて、お茶摘みに出かけるのです。鬱蒼《うっそう》たる森林地帯を通り抜けると、巌石《がんせき》峨々《がが》として半天に聳《そび》ゆる崑崙山脈に攀《よ》じ登って、お茶の樹を探しまわるのですが、崑崙山脈一帯に叢生《そうせい》するお茶の樹というのは、普通のお茶の樹と種類が違うらしいのです。皆スバラシイ大木ばかりで、しかも、切って落したような絶壁の中途に、岩の隙間を押分けるようにして生《は》えているのだそうですから、猿でも使わない事には、トテモ危険で近寄れない訳
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング