、僕を絶対に眠らせまいとしているのです。そうして僕を次第次第に衰弱させて、殺して終《しま》おうと巧《たく》らんでいるのです。
 イヤ。それに違い無いのです。僕は昂奮《こうふん》なんかしていません。キットそうなのです。駄目です駄目です。僕の空想なんかじゃありません。……この室《へや》に居ると僕はキット殺されます。……どうぞ助けると思って僕を他の室に……エッ……室が満員なんですって? そんなら野天《のてん》でも構いません。どうぞどうぞ後生ですから、僕を別の室に……。
 ……何ですか。崑崙茶の由来ですか。……貴女は御存じ無いのですか。
 ヘエ。崑崙茶がドンナお茶か見当が付けば、中毒を解くのは何でもない。……成る程。植物性の昂奮剤は色々あるから、話をよく聞いて見ない事には見当の付けようがない。……そんなものですかねえ。……そんなら訳はないでしょう。その留学生が持っている「茶精」を取上げて分析してみたら直ぐに判明《わか》るでしょう。
 ……成る程。隠している処がわからないと困る……それもそうですね。キット魔法使いみたいな奴に違い無いのですからね。……そればかりじゃない。注射で眠っている奴を途中で起すと、利《き》き残った薬が身体《からだ》に害をする……そんなもんですかねえ。ヘエ……。
 実は僕も崑崙茶の成分なんか知らないんですがね。イイエ。与太話なんかじゃありません。そのお茶に関するモノスゴイ話だけなら、ズット以前に何かの本で読んだ事があるんですが……僕はモトから支那の事を研究するのが好きでね。支那は昔から実に不思議な国ですからね。僕の憧憬《あこがれ》の国といってもいい位なんです。今度の卒業論文にも支那の降神術に関する文献の事を書いておいたんですが……。
 ヘエ。貴女《あなた》も支那のお話がお好きですか。御祖父《おじい》さんが漢学者だったから……ああそうですか。それじゃ聞かして上げましょうとも。しかし、他の話なら兎《と》も角《かく》、崑崙茶の話だったら、その御祖父様から、最早《もはや》、トックの昔にお聞きになっているかも知れませんがね。有名な話ですから……ヘエ。全く御存じ無いんですか。妙ですね。それじゃ貴女が思い出されるかどうか話してみましょう。
 しかしその支那人が眼を醒ましやしないでしょうか。ヘエ。明日《あす》の朝まで大丈夫。そうですか。それじゃお話しましょう。まあ腰をかけて下さい。
 貴女は四川《しせん》省附近に、お茶で身代《しんだい》を無くした人間が多い事を御存じじゃ無いですか。ヘエ。それも御存じ無い。アノ附近に限られているのですからかなり有名な事実なんですが……。
 エエ、そうです。随分珍妙な話なんです。酒や女で身代限りをするのなら当り前ですが、お茶の道楽で身体《からだ》を持ち崩して、破産するというのですから、馬鹿馬鹿しいのを通り越しているでしょう。トテモ支那でなくちゃ聞かれない話なんです。
 御存じの通り支那人という奴は……聞えやしないでしょうね……チャンチャンという奴は、国家とか、社会とかいう観念となると全然無いと云っていい位に、個人主義的な動物ですが、その代りに私的の生活に関する、享楽《きょうらく》手段の発達している事といったら、世界一と断言していいでしょう。着物でも、住居《すまい》でも、料理でも、酒でも、香料でも……ね……御存じでしょう……エロの方面でも何でも、個人的な享楽機関と来たら、四千年の歴史を背景《バック》にしているだけに、スバラシイ尖端《せんたん》的なところまで発達を遂げているんです。
 ……ですからタッタ一つのお茶といったような問題に就《つ》いても、ドエライ研究が行き届いているに違い無い事が、すぐに想像されるでしょう。
 全くその通りなんです。しかも日本人なんかがイクラ想像したって追付《おいつ》かない位、メチャクチャな発達を遂げているのですが、その中でも亦《また》、特別|誂《あつら》えの天下無敵の話っていうのが、この崑崙茶の一件なのです。
 先ず、支那の奥地の四川《しせん》省から雲南《うんなん》、貴州《きしゅう》へかけて住んでいる大富豪の中で、お茶の風味がよくわかって、茶器とか、茶室とかの趣味に凝《こ》り固まった人間が居るとしますかね。又は酒や、女や、阿片や、賭博なんかでも、あらゆる贅沢《ぜいたく》をし尽した道楽気の強い人間が、今度は一つ、お茶の趣味に深入りしてやろうと決心したとしますかね。いいですか。そこで何でも彼《か》でも良《い》いお茶良いお茶と金に飽《あ》かして、天井《てんじょう》知らずに珍奇なお茶を手に入れては、それを自慢にして会合を催したり、ピクニックを試みたりして行くうちには、キット崑崙茶を飲みたいというところまで、お茶熱が向上して来るのです。……むろん崑崙茶といったら、お茶仲間の評判の中心で、魅
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