ええ。無論そうですとも。夜になっても眠られないのは、わかり切った事ですが、しかし富豪たちはチットも疲れを感じません。影のように附添って介抱する黄色い着物の茶博士たちが、入れ代り立ち代り捧げ持って来る崑崙茶の霊効でもって、夜も昼も神仙とおんなじ気持になり切っている。神《しん》凝《こ》り、鬼《き》沈《しず》み、星斗と相語り、地形と相抱擁《あいほうよう》して倦《う》むところを知らず。一杯をつくして日天子《にってんし》を迎え、二杯を啣《ふく》んで月天子《げってんし》を顧みる。気宇|凜然《りんぜん》として山河を凌銷《りょうしょう》し、万象|瑩然《えいぜん》として清爽《せいそう》際涯《さいがい》を知らずと書物には書いてあります。
 けれどもその間は、お茶の味をよくするために食物を摂《と》りません。ただ梅の実の塩漬と、砂糖漬とを一粒|宛《ずつ》、日に三度だけ喰べるのですから、富豪たちの肉体が見る見る衰弱して行くのは云う迄もない事です。安楽椅子に伸びちゃったまま、黄色い死灰《しかい》のような色沢《いろつや》になって、眼ばかりキラキラ光らしている光景は、ちょうど木乃伊《ミイラ》の陳列会みたいで、気味の悪いとも物凄いとも形容が出来ないそうです。
 ところが、おしまいにはその眼の光りもドンヨリと消え失せてしまって、何の事はないキョトンとした空《から》っぽの人形みたいな心理状態になる。身動きなんか無論出来ないのですから、お茶は介抱人に飲ましてもらう。その時のお茶の味が又、特別においしいのだそうで、身体《からだ》中がお茶の芳香に包まれてしまったようなウットリとした気持になるのだそうですが、やはり神経が弱り切っているせいでしょうね。その代りに糞《くそ》も小便も垂れ流しで、ことに心神|消耗《しょうもう》の極、遺精を初める奴が十人が十人だそうですが、そんなものは皆、茶博士たちが始末して遣るのだそうで、実に行届いたものだそうです。
 こうして二三週間も経つうちに、最初は麓《ふもと》の近くに在った新茶の芽が、だんだんと崑崙山脈の高い高い地域に移動して行きます。それに連れて採取が困難になって来る訳で、やがて新茶が全く採れなくなったとなると、茶摘男と茶博士が一緒になって、その生きた死骸みたいに弱り切っている富豪貴人たちを、それぞれに馬車の中へ担《かつ》ぎ込んで、牛酪《ぎゅうらく》や、骨羹《こっかん》なぞ
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