》な山道を越えたり、追剥《おいはぎ》や猛獣の住む荒野原を横切ったり、零下何度の高原沙漠を、案内者の目見当一ツで渡ったりして、やがて崑崙山脈の奥の秘密境に在る、遊神湖《ゆうしんこ》という湖の近くに到着するのです。そこいらは時候が遅いので、ちょうどその頃が春の初めくらいの暖かさだそうですが、その景色のよさといったら、実に何ともカンとも云えないそうですね。
詳《くわ》しい事は判然《わか》りませんが、その遊神湖という湖の周囲には、歴史以前に崑崙国といって、素敵に文化の進んだ一つの王国があったそうです。ところが、その国民は極端に平和的な趣味を愛好した結果、崑崙茶の風味に耽溺《たんでき》し過ぎたので、スッカリ気力を喪《うしな》って野蛮人《やばんじん》に亡ぼされて終《しま》ったものだそうです。今でもその廃墟が処々の山蔭や、湖の底からニョキニョキと頭を出しているそうですが、その周囲には天然の森が茂り、高山風の花畠が展開して、珍らしい鳥や見慣れぬ蝶が、長閑《のどか》に舞ったり歌ったりしている。底の底まで澄み切った青空と湖の中間には、新鮮な太陽がキラリキラリと回転している……といったような絵にも筆にもつくせない光景が到る処に展開している。その中でも一番眺望のいい処に、各地方から集まった隊商たちは、先を争って天幕《テント》を張《は》りまわすと、手に手にお香《こう》を焚《た》いたり、神符《しんぷ》を焼いたりして崑崙山神の冥護《めいご》を祈ると同時に、盛大なお茶祭を催して、滅亡《ほろ》びた崑崙王国の万霊を慰めるのだそうですが、これは要するに、迷信深い支那人の気休めでしかないと同時に、お茶の出来る間の退屈|凌《しの》ぎに過ぎないのでしょう。
一方に馬から離れた茶摘男たちは、一休みする間もなく各自《めいめい》に、長い長い綱を附けた猿を肩の上に乗せて、お茶摘みに出かけるのです。鬱蒼《うっそう》たる森林地帯を通り抜けると、巌石《がんせき》峨々《がが》として半天に聳《そび》ゆる崑崙山脈に攀《よ》じ登って、お茶の樹を探しまわるのですが、崑崙山脈一帯に叢生《そうせい》するお茶の樹というのは、普通のお茶の樹と種類が違うらしいのです。皆スバラシイ大木ばかりで、しかも、切って落したような絶壁の中途に、岩の隙間を押分けるようにして生《は》えているのだそうですから、猿でも使わない事には、トテモ危険で近寄れない訳
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