の本質を物質の化学作用に過ぎないものと信じ、露西亜《ロシア》流の唯物弁証法にカブレて人間の誠意とか、忠孝の観念とか、崇拝心とかいうものを極度に冷眼視し、軽蔑した私が、どうして忠平の義務心を確信し、こうした横死を憂慮して無我夢中になり、生命《いのち》がけでここまで辿って来たか。それは忠平の死と共に、私の生涯にとって又とない大きな大きな奇蹟以外の何ものでもなかった。
すべては唯物哲学を以て弁証することが出来る。しかし生命、もしくは生命の波動である精神ばかりは人間の発明した科学では説明出来ない。私は今まで人間の精神は、物質によってのみ支配されるものと信じて来た。ところが、私は今朝から、精神そのものに支配されている精神そのものの偉大崇高さばかりを、眼の前に凝視しつづけて来ていたのだ。
そう気が附くと同時に、私は立っていることが出来なくなった。全身をワナワナガタガタと戦かし、歯の根をカチカチと鳴らしながら、ぐたぐたと雪の中に両膝を突いて坐り込んだ。しっかりと合掌しながら、改めて忠平の死体を見直した。
猟師の吉兵衛老人を初め三人の男も、手に手に被《かぶ》り物を取除けて、頭を垂れて合掌した。
前へ
次へ
全22ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング