句の晩であった。
いい月夜であったが店が割合に閑散で、珍らしく客が早く引けたので、銀次はチョット表に出て前後の往来を、月の光りで遠くまで見渡してみた。それからイツモの通りに慌しく表の板戸を卸《おろ》して小潜《こくぐり》の掛金をシッカリと掛け、裏の雨戸を閉めて心張棒《しんばりぼう》を二本入れた。藤六の位牌《いはい》の前に床を展《の》べて煤《すす》けたラムプを吹き消そうとすると、トタンに表の戸をトントンとたたく女の声がした。
「すみません。あけて下さい」
銀次はチョットの間《ま》、その音を睨み付けて脅えたような顔をした。ラムプの下で屹《きっ》と身構えをしていたが、微かにチョッと舌打ちをすると寝間着の古浴衣のまま面倒臭そうに上り框を降りた。
イザといえば直ぐにも飛掛りそうな身構えで、低い、狭い潜戸《くぐりど》を開けてやると、女は直ぐに這入って来た。
十九か二十歳《はたち》ぐらいの見るからに初々《ういうい》しい銀杏髷《いちょうまげ》の小柄な女であった。所謂《いわゆる》丸ボチャの愛嬌顔で、派手な紺飛白《こんがすり》の袷《あわせ》に、花模様の赤|前垂《まえだれ》、素足に赤い鼻緒の剥《は》げ
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