きだし》の中に在った鋭いらしい匕首《あいくち》も中身を検《あらた》めてから懐中《ふところ》へ呑んだ。やはり押入の向側から鉋飴売りの足高盥《あしだかだらい》を取出しかけたが又、押入の中へ投込んだ。
それから銀次は上り口に飯櫃《めしびつ》を抱え出して、残りの飯と、店に残った皿のもので、湯漬飯《ゆづけめし》を腹一パイガツガツと掻き込むと、仏が生前に帳場で使っていた木綿縞の古座布団を一つ入口の潜戸の前に投出した。ラムプを吹消して、手探りで草鞋《わらじ》を穿いて、地面《じべた》へジカに置いた座布団の上にドッカリと坐って、潜り戸に凭《よ》りかかりながら腕を組んで眼を閉じた。
月の光りを夜明けと間違えたのであろう。どこか遠くで鶏《とり》の羽ばたきと、時を告げる声が聞こえた。
3
それから一時間ばかり経ったと思う頃、潜戸の外で微かに人の気はいがした。
シンシンシンシンシンという軽い、小さい鋸《のこぎり》の音が忍びやかに聞こえて、銀次の襟首へ煙のように細かい鋸屑《のこぎりくず》が流れ込んだ。最前の小女《こおんな》が凭りかかっていた処へ横一寸、縦二寸ばかりの四角い穴がポックリと切開かれた。そこから西に傾いた月の光りが白々とさし込んだ。
銀次は潜り戸からすこし離れて坐ったまま一心にその様子を見ていた。
やがてその穴から白い小さい手が横になってスウッと這入って来た……と思うと何かに驚いたようにツルリと引込んだ。
銀次は動かなかった。なおも息を殺して四角い月の光りを凝視していた。
今一度小さな手がスウッと這入って来て、掛金《かけがね》の位置を軽く撫でたと思うと又、スルリと引込んだ。
銀次は依然として動かなかった。
三度目に白い小さい手がユックリと這入って来て、掛金にシッカリと指をかけた時、銀次は坐ったまま両手を近づけてその手をガッシリと掴んだ。掴んだままソロソロと立上って手の這入って来た穴に口を寄せた。低い力の籠《こ》もった声でユックリと囁《ささや》いた。
「……オイ……貴様は巡礼のお花じゃろ。……もうこうなったら諦らめろよ」
「……………」
「俺の顔を見知って来たか……」
「……………」
「俺がドレ位の恐ろしい人間かわかったか」
「……………」
「わかったか……阿魔《あま》……」
「……………」
「……俺の云う事を聞くか……」
「……………」
「聞かねばこのまま突出すがええか……警察は俺の心安い人ばかりだ」
白い手の力がグッタリと抜けたようであった。
銀次は片手で女の手首をシッカリと握り締めたまま油断のない腰構えで掛金を外した。黒覆面に黒脚絆、襷掛《たすきが》けの女の身体《からだ》を潜戸と一所《いっしょ》に店の中へ引張り込んだ。同時に水のように流れ込んで来る月明りに透かして女の全身を撫でまわすと、内懐《うちぶところ》から竹細工用の鋭い刃先の長い、握りの深い切出小刀《きりだし》を一挺探り出して、渋紙の鞘《さや》と一所に、土間の隅へカラリと投込んだ。ホッとしたらしく微笑して女の覆面を見下した。
「……俺の名前を知って来たんか」
覆面が頭を強く振った。シクシクと泣出して、
「……すみまシェン。草鞋銭《わらじせん》に詰まって……」
と云ううちに覆面を除《と》ると、最前の小女の青褪めた顔を現わしながら銀次の胸にバッタリと縋《すが》り付いた。シャクリ上げシャクリ上げ云った。
「……貴方《あんた》を見損なって……」
銀次は月明りを透かして外を覗きながら何かしら冷やかに笑った。今一度、猿のように白い歯を剥き出した醜い表情をしたと思うと、片手で潜戸を締めて掛金をガッキリと掛けた。落ちていた四角い木片《きぎれ》で潜戸の穴を塞《ふさ》いだ。
それから一時間ばかりの間、家の中には何の物音もしなかった。そのうちに二十分間ばかりラムプがアカアカと灯《つ》いていたようであったが、それもやがて消えてシインとしてしまった。
月がグングンと西へ傾いた。
方々で鶏《にわとり》が啼いて夜が明けて来た。
突然、家の中からケタタマシイ叫び声が起った。魂消《たまげ》るような女の声で、
「……何すんのかア――イ……」
「………」
「アレッ……堪忍してエ――ッ」
「……………」
「……嘘|吐《つ》き嘘吐き。ええこの嘘吐き……エエッ。口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい……」
という叫び声と一所にドタンバタンという組打ちの音が高まったが、それがピッタリと静まると、やがて表の板戸が一枚ガタガタと開いて、頬冠りをした銀次の姿が出て来た。銀次の背中には、細引でグルグル巻にして、黒い覆面で猿轡《さるぐつわ》をはめた小女を担《かつ》いでいたが、そのまま月の沈んだ薄あかりの道をスタスタと町の方へ急いだ。
女は銀次の背中でグッタリとなっていた。
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