骸骨の黒穂
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)人気《にんき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)浅黄|木綿《もめん》の小旗が、

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》り
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 まだ警察の仕事の大ザッパな、明治二十年頃のこと……。
 人気《にんき》の荒い炭坑都市、筑前《ちくぜん》、直方《のうがた》の警察署内で起った奇妙な殺人事件の話……。
 煤煙に蔽われた直方の南の町外れに、一軒の居酒屋が在った。周囲は毎年、遠賀《おんが》川の浸水区域になる田圃《たんぼ》と、野菜畑の中を、南の方飯塚に通ずる低い堤防じみた街道の傍にポツンと立った藁葺小舎《わらぶきごや》で、型の如く汚れた縄暖簾《なわのれん》、軒先の杉葉玉と「一パイ」と染抜いた浅黄|木綿《もめん》の小旗が、町を出外れると直《す》ぐに、遠くから見えた。
 中に這入《はい》ると居間兼台所と土間と二室《ふたま》しかない。その暗い三坪ばかりの土間に垢光りする木机と腰掛が並んで右側には酒樽桝棚、左の壁の上に釣った棚に煮肴《にざかな》、蒲鉾《かまぼこ》、するめ、うで蛸《だこ》の類が並んで、上《あが》り框《かまち》に型ばかりの帳場格子がある。その横の真黒く煤《すす》けた柱へ「掛売《かけうり》一切《いっさい》御断《おことわり》」と書いた半切《はんぎり》が貼って在るが、煤けていて眼に付かない。
 主人は藤六《とうろく》といった六十がらみの独身者の老爺《おやじ》で、相当|無頼《なぐれ》たらしい。黥《いれずみ》を背負っていた。色白のデップリと肥った禿頭《はげあたま》で、この辺の人間の扱い方を知っていたのであろう。坑夫、行商人、界隈の百姓なぞが飲みに来るので、一パイ屋の藤六藤六といって人気がよかった。巡査が茶を飲みに立寄ったりすると、取っときの上酒をソッと茶碗に注《つ》いだり、顔の通った人事係《おやかた》が通ると、追いかけて呼び込んで、手造りの濁酒の味見《きき》をしてもらったりした。
 この藤六|老爺《おやじ》には妙な道楽が一つあった。それは乞食を可愛がる事で、どんなにお客の多い時分でも、表口に突立って這入らない人間が在ると、藤六は眼敏《めざと》く見付けて、眼に立たないように何かしら懐中《ふところ》から出してやって立去らせるのであった。立去るうしろ姿を見ると老人、女、子供は勿論のこと血気盛んな……今で云うルンペン風の男も交っていた。
 お客の居ない時なんぞは、母子《おやこ》連れの巡礼か何かに、何度も何度も御詠歌を唱わせて、上口《あがりぐち》に腰をかけたまま聞き惚れているような事がよくあった。そのうちにダンダン感動して来ると、藤六の血色のいい顔が蒼白く萎《しな》びて、眉間に深い皺《しわ》が刻み出されて、やがてガックリと頸低《うなだ》れると、涙らしいものをソッと拭いているような事もあった。そんな場合には巡礼に一升ぐらいの米と、白く光るお金を渡しているのが人々の眼に付いた。
 麦の穂が出る頃になると藤六は、やはり店に人の来ない時分を見計らって、家の周囲の麦畑へ出て、熱心に麦の黒穂《くろんぼ》を摘んでいる事があった。これも藤六|老爺《おやじ》の一つの癖といえば云えたかも知れないが、しかし近所の人々は、そうは思わなかった。やはり仏性《ほとけしょう》の藤六が、閑暇《ひま》さえあればソンナ善根をしているものと思って誰も怪しむ者なんか居なかった。
 とにもかくにもこの藤六|老爺《おやじ》が居るお蔭で、直方には乞食が絶えないという評判であったが、実際、色々な乞食が入代り立代り一パイ屋の門口に立った。「あの乞食酒屋で一パイ」とか「乞食藤六の酒は量りが良《え》え」とか云われる位であった。

 その名物|老爺《おやじ》の藤六が昨年……明治十九年の暮の十一日にポックリと死んだ。
 炭団《たどん》を埋めた小火鉢の蔭に、昨夜喰ったものを吐き散らして、夜具の襟を掴んだまま、敷布団から乗出して冷めたくなっているのが、老爺《おやじ》の心安い巡回の巡査に発見されたので、色々と死因が調べられたが別に怪しい点は一つも無かった。
 ただ一つ、盗まれたものはないかと家中《うちじゅう》を調べているうちに、押入の隅に祭ってある仏壇らしいものに線香も何も上げてない。その代りに白紙に包んだ麦の黒穂《くろんぼ》の、枯れたのが、幾束も幾束も上げてあるのが皆を不思議がらせた。それからその仏壇の奥の赤い金襴《きんらん》の帷帳《とばり》を引き開いてみると、茶褐色に古ぼけた人間の頭蓋骨が一個《ひとつ》出て来たので皆……ワア……と云って後退
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