好調子なスパークの霊感……。
私の眼に、何もかも忘れた熱い涙がニジミ出した。太陽と、蒼空《あおぞら》と、雲の間を、ヒトリポッチで飛んで行く感激の涙が……それを押し鎮《しず》めるべく私は、眼鏡《めがね》の中で二三度パチパチと瞬《またた》きをした。
……その瞬間であった……。
ちょうどプロペラの真正面にピカピカ光っている、大きな鏡のような青空の中から、一台の小さな飛行機があらわれて、ズンズン形を大きくしはじめたのは……。
私は不思議に思った。あまりに突然の事なので眼の誤りかと思ったが、そう思ううちに向うの黒い影はグングン大きくなって、ハッキリした単葉の姿をあらわして来た。
私は心構えしながら舵機《だき》をシッカリと握り締めた。
……二千五百の高度……。
……静かなプロペラのうなり……。
……好調子なスパークの霊感……。
私は驚いた。固唾《かたず》を呑んで眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。向うから来るのは私の乗機と一|分《ぶ》一|厘《りん》違わぬ陸上の偵察機である。搭乗者も一人らしい。機のマークや番号はむろん見えないが……。
……二千五百の高度……。
……静かなプロペラ……。
……好調子なスパーク……。
……青空……。
……太陽……。
……層雲の海……。
私はアット声を立てた。
私が大きく左|舵《かじ》を取って避けようとすると、同時に向うの機も薄暗い左の横腹を見せつつ大きく迂回《うかい》して私の真正面に向って来た。
私の全身に冷汗《ひやあせ》がニジミ出た。……コンナ馬鹿な事がと思いつつ慌てて機体を右に向けると、向うの機も真似をするかのように右の横腹を眩《まぶ》しく光らせつつ、やはり真正面に向って来る。
……鏡面に映ずる影の通りに……。
私の全神経が強直した。歯の根がカチカチと鳴り出した。
その途端に私の機体が、軽いエア・ポケツに陥ったらしくユラユラと前に傾いた。……と同時に向うの機もユラユラと前に傾いたが、その一|刹那《せつな》に見えた対機《むこう》のマークは紛れもなく……T11……と読まれたではないか……。
……と思う間もなくその両翼を、こっちと同時に立て直して向うの機は、真正面から一直線に衝突して来たではないか……。
……私はスイッチを切った。
……ベルトを解いた。
……座席から飛び出した。
……パラシュートを開かないまま百|米突《メートル》ほど落ちて行った。
私と同じ姿勢で、パラシュートを開かないまま、弾丸のように落下して行く私そっくりの相手の姿……私そっくりの顔を凝視しながら……。
……はてしもない青空……。
……眩しい太陽……。
……黄色く光る層雲の海……。
街路
大東京の深夜……。
クラブで遊び疲れたあげく、タッタ一人で首垂《うなだ》れて、トボトボと歩きながら自宅の方へ帰りかけた私はフト顔を上げた。そこいら中がパアット明るくなったので……。
……そのトタン……飛び上るようなサイレンの音に、ハッと驚いて飛び退く間もなく、一台の自動車が疾風《はやて》のように私を追い抜いた。……続いて起る砂ほこり……ガソリンの臭い……4444の番号と、赤いランプが見る見るうちに小さく小さく……。
……ハテナ……あの自動車の主《ぬし》は人形じゃなかったかしら……あんまり綺麗過ぎる横顔であった。着物はよくわからなかったが、水の滴るような束髪《そくはつ》に結《ゆ》って、真白に白粉《おしろい》をつけて、緑色の光りの下にチンと澄まして……黒水晶のような眼をパッチリと開いて、こころ持ち微笑《ほほえ》みを含みながら、運転手と一緒に、一直線の真正面を見詰めて行った。あの反《そ》り身《み》になった澄まし加減がイカニモ人形らしかった……と思う中《うち》に又一台あとから自動車が来た。
私はすぐに振り返ってみた。
その自動車の主はパナマ帽を冠《かぶ》った紳士であった。赭《あか》ら顔の堂々と肥った、富豪の典型のような……それが両手をチャンと膝《ひざ》に置いて、心持ち反り身になったまま、運転手と一緒に、一直線の真正面をニコニコと凝視しながら、私の前をスーッと通り過ぎた。自動車の番号は11111……。
……人形だ人形だ。今の紳士はたしかに人形だった……ハテナ……オカシイゾ……。
……と考えているうちに私は又、石のように固くなったまま向うから来かかった自動車の内部を凝視した。
……今度は金襴《きんらん》の法衣を着た坊さんであった。若い、品のいい宮様のように鼻筋のとおった人形……それが心持ち眼を伏せて、両手を拝み合わせたままスーッと辷って行った。
私はブルブルと身震いをした。あたりは森閑《しんかん》とした街路……大空は星で一パイ……。
……深
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