ますと、そうしたお母様のお心持ちがよくわかるように思いますので、つまりを申しますとお母様のお心は、私をお生みになりましてからというもの人間世界をお離れになって、唯《ただ》、お仕事の一つに注ぎ込んで、ほかの事(それが何でありましたかという事は誰にわからなかったろうと思いますが)を忘れよう忘れようとしておいでになったのではないかと思われるので御座います。
 何を申しましても私が生れましたのが阿古屋の琴責めの人形が出来ました年の新《しん》の師走《しわす》も押し詰まった日で御座いましたのに、それから一箇月半ほど経った新の二月の中旬を過ぎますと、もう家《うち》の事はもとより、旧正月の仕事として外《ほか》から頼んで来る裁縫や袱紗《ふくさ》の刺繍、縫紋《ぬいもん》、こまこました押絵の人形など、どんなにお忙がしくともお断りにならなかったそうです。これは私が物心ついてから後《のち》も同じ事で、羽織、袴、婚礼の晴着と急ぎの頼みを、夜《よ》の眼も寝ずにお作りになるほかに、お父様の漢学のお稽古のあとで、近いあたりの娘さんが十人ばかりもお稽古に来られます。それを教えながらお母様は家内四人(お祖母様のも)の着物ま
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