のお琴のお師匠さんの処までよく聞えたそうです。
又、その頃の私の家《うち》の暮し向きは、僅かばかり来る作米と漢学のお礼のほかはお母様の押し絵や針仕事で立てておられましたので、私が生れますあと先は御両親とも随分お辛い事が多かったろうと思いますが、そんな意味の事も、この手鞠歌に唱《うた》い込んでありますようで、誰が作ったものか存じませぬが、ほんとに憎らしくて憎らしくて思い出す度《たび》に胸が一パイになります。
けれどもそのせいかして、お母様は鳥目になるといっておセキ婆さんが止めるのも聞かずに、普通の人よりも早く髪を洗ったり、針仕事を始めたりなすったそうです。お父様も亦《また》それから後《のち》というものは人が笑うのも構わずに、朝夕のお買物までも御自分でお出ましになりましたそうで、お母様は家《うち》にジッとしてお仕事をしておいでになりさえすれば、お父様の御機嫌がよいので、お祖母様は大層お困りになったそうです。
しかし、今になってよく考えてみますと、そうしたお父様のお心持ちが私にはよくわかるように思います。
親の事をとやかく申しますのは心苦しい事で御座いますけれども、この事はハッキリと
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