に手を合わせて、
「ああ。お蔭で安堵した」
と仰有《おっしゃ》って涙をお流しになった位だそうです。
私が生れましたのは明治十三年の十二月の二十九日で、大変に雪の降る朝だったそうですが、ちょうどお祖母様もお父様も、もう生れるか生れるかというような御心配のために疲れ切っておいでになりましたので「いよいよ生れる時まで待っておいでなさい」とオセキ婆さんが申しますままに、お座敷のお炬燵《こたつ》に当りながらウトウトしておいでになる間に生れたのだそうで、夜が明けてから子供の泣き声をお聞《きき》になるとお二人ともビックリなすったそうです。けれどもオセキ婆さんは気の強い女で、急いで私を見にお出でになったお父様を、
「アッチへお出でなさい。今抱かして上げます。殿方は産所へお這入りになるものではありません」
と叱りつけましたので、お父様は又慌ててお炬燵へお這入りになって、頭から蒲団をお冠《かぶ》りになりました。そのために炬燵の櫓《やぐら》が半分丸出しになって、その左右に、お父様の黒いおみ足がニュッと二本つき出ておりましたそうで、
「その御ようすの可笑《おか》しかったこと……」
とオセキ婆さんがよく
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