うしてこんなに細かく見て取られたものであろう。この遊女の姿態《こなし》ばかりは現在居る一番の錦絵描きでも描けないので、私の家《うち》の芸の中でも一番むずかしい秘密の伝授になっているものを……あの奥さんは不思議な人だ」
と云って舌を捲かれたという事で、今でも博多の人の噂に残っているそうで御座います。
その阿古屋の琴責めの五人組の人形が、柴忠さんの家《うち》の小さな本檜《ほんひのき》舞台に飾られました時の見物といったら、それは大変だったそうで御座います。申すまでもなくその時はお父様も、お母様も柴忠さんの処へおよばれになって、大層な御馳走が出ましたそうですが、その押絵を見るために態々《わざわざ》遠方から見えた御親戚や、お知り合いのお節句客の応対だけでも柴忠さんは眼がまわるほど、お忙がしかったそうで御座います。そうしてそんなお客が、お節句を過ぎてまでも、なかなか絶えそうに見えませんでしたので、しまいには柴忠さんも笑いながら、こんな事を云い出されたそうです。
「これはたまらぬ、いくら娘の祝いだというても、こんなに京大阪の旅人《たびにん》まで聞き伝えて見に来るようでは、今に身代限りになりそうだ
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