力取のものなぞ縫うことはならんぞ」
 と、お父様はあとで大層お母様をお叱りになったそうです。

 それから今一つ、お母様が十八の年の二月に博多一番と云われております大金持ちの柴忠《しばちゅう》(本当は柴田忠兵衛)さんという人が自身でお父様に会いに来られまして、こんな事を云い出されました。
「今日お伺い致しましたのは、私の家《うち》の娘の初の節句に是非ともこちら様の奥様の押絵を飾らして頂きたいと存じまして、その事をお願いに参りましたので御座います。それにつきましては、もう四五日しますと東京の千両役者で中村|半太夫《はんだゆう》(あなた様のお父様で御座います。失礼な言葉づかいを何卒《なにとぞ》おゆるし下さいませ)というのが博多に参りまして瓢楽座《ひょうがくざ》で十日間芝居を致します。そのお目見得《めみえ》芝居の芸題は阿古屋の琴責めで、半太夫が阿古屋をつとめる事になっておりますから、その舞台を御覧になって、その通りの場面を五人組みに作って頂けますまいか。そのためには正面の一番よい桟敷《さじき》を初日から千秋楽まで買い切っておきますが、どうぞ充分に御覧下さいませ。下地の錦絵はここに持って参りま
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