、南の端の川が二つに別れている近くに一並び宛《ずつ》しか家がありませんでしたので、私たちの家だけは、いつもその中間の博多側の川ぶちに、菜種《なたね》の花や、カボチャの花や、青い麦なぞに取り囲まれた一軒家になっておりましたことを、古いお方は御存じで御座いましょう。
 私の家は黒田藩のお馬廻《うままわ》り五百石の家柄で、お父様は御養子でしたが、昔|気質《かたぎ》の頑固一徹とよく物の本やお話にあります。あの通りのお方で、近まわりの若い人たちに漢学を教えておいでになりました。それに生れつきお酒がお嫌いで、大の甘党でおいでになりましたので、私が十歳にもなりました時は、よほど胃のお工合がわるく、保養のためといってよく畑いじりをしておいでになりましたが、そのせいかお顔の色が大変黒くて、眉毛の太い、お眼の切れ目の深い、お口の大きい、武士らしい怖い顔のお方で御座いました。
 それに引きかえて私のお母様は世にも美しい、そうして不思議なお方でした。
 私のお母様は、只、生きるためにしか、お食事をなされぬように見えました。よくまああれでお身体《からだ》が保《も》つものと、子供心にも思わせられました位小食でした
前へ 次へ
全127ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング