れ伏したまま、ワッと大きな声を立てて泣き出しました。私がお父様に打たれましたのは後にも先にも、これが初めてのお終《しま》いでした。
「まあ……あなた……何をなさいます」
という声が台所の方から聞えて、お母様が走ってお出でになる気はいが致しました。それで私は起き上ってお母様の方へ行こうとしましたが、いつの間にか私はお父様から帯際《おびぎわ》を捉えられておりまして、息が止まるほど強く畳の上に引き据えられました。その拍子に私は、あまりの恐ろしさのためから泣き止んでしまったように記憶《おぼ》えています。
お母様は結《ゆ》い上げたばかりの艶々《つやつや》しい丸髷《まるまげ》に薄化粧をして、御自分でお染めになった青い帷子《かたびら》を着ておいでになりました。そうして手を拭いておられた紙を左手の袂に入れながらお座敷の入り口で三ツ指をついて、
「お帰り遊ばせ……まあ……あなたは何故そのようなお手荒いことを……」
と云いながら私に近寄ろうとなさいますと、私の背後《うしろ》から、お父様のお声が大砲のようにきこえました。
「……黙れッ。……そこへ坐れッ」
お母様はビックリした顔をなされながら素直にお坐りになりました。そうして両手を支《つか》えながら、
「ハイ……」
と云い云い私の打たれた頬と、お父様のお顔とを見比べておいでになりました。けれどもまだ涙はお見せになりませんでした。
「もっとこっちへ寄れッ」
とお父様は押しつけるように云われました。
「ハイ……」
とお母様はしとやかにお進みになって、丁度十畳のお座敷のまん中近くまで来て又、三ツ指をおつきになりました。
お父様は黙ってお母様の顔を睨んでおいでになるようでしたが、私はお母様の方に向けられて足を投げ出したまま、帯際をしっかりと捉えられておりましたので見えませんでした。
お母様も一心に、お父様の顔を見ておいでになりましたが、その大きな美しい眼で二度ほどパチパチと瞬《まばたき》をされました。
「……キ……貴様は……ナ……中村半太夫と不義をした覚えがあろう」
というお父様の声が、間もなく私のうしろから雷のように響きました。私の帯を掴んでおられるお父様の手がブルブルとふるえました。
「あっ……まあ……」
とお母様は眼を大きくして驚きさま、うしろ手をつかれましたが、たちまち膝の前に両袖を重ねてワッと泣き伏しておしまいにな
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