の息苦しい女の匂いに混っている、麻酔《ますい》薬の透明な芳香に、いくらか脳髄を犯されたせいかも知れないと思った。……が……しかし、ここで眼を眩《ま》わしたり何かしたら大変な事になると思ったので、モウ一度両手を突いて、気を取り直しつつソロソロと立ち上った。並んで麻酔している女たちの枕元の、生冷《なまつめ》たい壁紙のまん中に身体《からだ》を寄せかけて、落ち付こう落ち付こうと努力しいしい、改めて室《へや》の中を見まわした。

 室《へや》のまん中には雪洞《ぼんぼり》型の電燈が一個ブラ下って、ホノ黄色い光りを放散していた。それはクーライト式になっていて、明るくすると五十|燭《しょく》以上になりそうな、瓦斯《ガス》入りの大きな球《たま》であったが、その光りに照し出された室内の調度の何一つとして、贅沢でないものはなかった。室《へや》の一方に輝き並んでいる螺鈿《らでん》の茶棚、同じチャブ台、その上に居並ぶ銀の食器、上等の茶器、金色《こんじき》燦然《さんぜん》たる大トランク、その上に置かれた枝垂《しだ》れのベコニヤ、印度《いんど》の宮殿を思わせる金糸《きんし》の壁かけ、支那の仙洞《せんとう》を忍ばせる白鳥の羽箒《はぼうき》なぞ……そんなものは一つ残らず、未亡人が入院した昨夜から、昨日《きのう》の昼間にかけて運び込まれたものに相違ないが、トテモ病院の中とは思えない豪奢《ごうしゃ》ぶりで、スースーと麻酔している女たちの夜具までも、赤や青の底眩《そこまば》ゆい緞子《どんす》ずくめであった。
 そんなものを見まわしているうちに、私は、タオル寝巻一枚の自分の姿が恥かしくなって来た。吾《わ》れ知らず襟元を掻き合せながら、男爵未亡人の寝姿に眼を移した。
 白いシーツに包んだ敷蒲団を、藁蒲団の上に高々と積み重ねて、その上に正しい姿勢で寝ていた男爵未亡人は、麻酔が利いたせいか、離被架《リヒカ》の中から斜《はす》かいに脱け出して、グルグル捲きの頭をこちら向きにズリ落して、胸の繃帯を肩の処まで露《あら》わしたまま、白い、肉付きのいい両腕を左右に投げ出した、ダラシない姿にかわっている。ムッチリした大きな身体《からだ》に、薄光りする青地の長襦袢《ながじゅばん》を巻き付けているのが、ちょうど全身に黥《いれずみ》をしているようで、気味のわるいほど蠱惑《こわく》的に見えた。
 その姿を見返りつつ私は電球の下に進み寄って、絹房《きぬぶさ》の付いた黒い紐《ひも》を引いた。同時に室《へや》の中が眩しいほど蒼白くなったが、私はチットも心配しなかった。病室の中が夜中に明るくなるのは決して珍らしい事ではないので、窓の外から人が見ていても、決して怪しまれる気遣いは無いと思ったからである。
 私はそのまま片足で老女の寝床を飛び越して、男爵未亡人の藁布団に凭《も》たれかかりながら、横坐りに坐り込んだ。胸の上に置かれた羽根布団と離被架《リヒカ》とを、静かに片わきへ引き除《の》けて、寝顔をジイッと覗き込んだ。
 麻酔のために頬と唇が白味がかっているとはいえ、電燈の光りにマトモに照し出されたその眼鼻立ち、青い絹に包まれているその肉体の豊麗さは何にたとえようもない。正《まさ》にあたたかい柔かい、スヤスヤと呼吸する白大理石の名彫刻である。ラテン型の輪廓美と、ジュー型の脂肪美と併せ備えた肉体美である。限り無い精力と、巨万の富と、行き届いた化粧法とに飽満《ほうまん》した、百パーセントの魅惑そのものの寝姿である……ことに、その腮《あご》から頸《くび》すじへかけた肉線の水々《みずみず》しいこと……。
 私はややもするとクラクラとなりかける心を叱り付けながら、未亡人の枕元に光っている銀色の鋏《はさみ》を取り上げた。それは新しいガーゼを巻き付けた眼鏡型の柄《え》の処から、薄っペラになった尖端《せんたん》まで一直線に、剣《つるぎ》のように細くなっている、非常に鋭利なものであったが、その鋏を二三度開いたり、閉じたりして切れ味を考えると間もなく、未亡人の胸に捲き付けた夥《おびただ》しい繃帯を、容赦なくブスブスと切り開いて、先ず右の方の大きな、まん丸い乳房を、青白い光線の下に曝《さら》し出した。
 その雪のような乳房の表面には、今まで締め付けていた繃帯の痕跡《あと》が淡紅色の海草のようにダンダラになってヘバリ付いていたが、しかし、私は溜息をせずにはいられなかった。
 この女性が、エロの殿堂のように唄われているのは、その比類の無い美貌のせいではなかった。又はその飽く事を知らぬ恋愛技巧のせいでもなかった。この女性が今までに、あらゆる異性の魂を吸い寄せ迷い込ませて来たエロの殿堂の神秘力は、その左右の乳房の間の、白い、なめらかな皮肌《ひふ》の上に在る……底知れぬ×××××と、浮き上るほどの××××××を、さり気なくほのめき輝かし
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