に紛れて狙い撃ちにするのは訳ない事であった。
 電車が二つばかり轟々《ごうごう》と音を立てて私の背後《うしろ》の線路を横切った。ユーカリの枯葉が一二枚、暗《やみ》の空から舞い落ちて微かな音を立てた。
 その音を聞くと、急に私は自分の臆病さに気付いて可笑《おか》しくなった。
 二十何年間の探偵生活に鍛え上げられた自分の神経を思い出しつつ人通りの絶えたのを幸いに抜き足さし足窓の所に近付いた。ちょうど窓の右手の処にこんもりした椿の樹が立っていて、暗《やみ》の中に赤い花を着けている。その蔭に身を寄せて、窓の隅に映っている丸い影法師……それは卓上電話の頭であった……の中央にあるドローン・ウォークの編み目から内部を覗いた。
 すぐに室《へや》の中の様子がすっかり変っているのに気が付いた。つい五六時間前に、少年嬢次と話をした時まで、樅《もみ》の板壁に松天井、古机に破れ椅子というみすぼらしい書斎の面影は跡型《あとかた》もなくなっている。
 四方の壁は印度更紗《インドさらさ》模様を浮かしたチョコレート色の壁紙で貼り詰めてある。天井には雲母刷《うんもず》り極上の模様紙が一等船室のように輝いている。床には毒
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