つ傍道《わきみち》に這入って説明しておかなければならぬ事は、人間が「第六感」を感ずる場合に三種類ある事である。
 元来この第六感というものは、今まで説明したところでもあらかた察しられる通り、人間が普通の常識とか、妄想とか、空想とか、又は智慧分別とかいう雑念の一切合財から綺麗に離れた、純真純一な空《から》っぽの頭になった時に感ずるもので、その第一例としては、和漢の高僧、名知識と呼ばれる人々が、遠方の出来事を直感したり、将来の一大事変を予知した話が、屡々《しばしば》世に伝えられている実例がある。しかし、これは余程修養の積んだ、悟りの開けた人間に限った話で、吾々のような俗物が、いつもかもそんな澄み切った、超人的な気持ちで澄まし込んで、無線電信のアンテナ見たいに、ふんだんに第六感ばかりを感じている訳には行かない。だから、これは第一種の特別の部類として敬遠しておく事にするが、しかしながら、かような第六感を感じ得るのは何もそんな名僧知識に限ったものではないのである。吾々のようなありふれた俗物でも、時々、名僧知識と同様の何の気もない無心状態になって「第六感」を受けている場合は屡々あり得るので、その場
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