って来た。そうして白い風呂敷包を金とは気が付かぬらしく、女が命ずるままに無雑作に抱え出して俥に乗せた。女はそのまま丁寧に挨拶をして俥に乗って、帝国ホテルの方へ行ってしまったが、支配人と店員の一二名とは見送ったまま門口に突立って、俥のうしろ姿が見えなくなるまで見送っていた。
「その婦人はどんな香水の香りがしていましたか」
 と私は語り終った支配人を追っかけるように訊ねた。支配人は面喰ったらしく急に返事をしなかった。
「……さあ……どんな香水でしたか……アハハ……どうも……」
「そうして岩形氏の預金は、あとにどれ位残っておりますか」
「たしか三万円足らずであったと思います」
「どうも有り難う。いずれ身元がわかったらお知らせします。あ……それから貴下《きか》は岩形氏の住所を御存じですか」
「はい。鎌倉材木座の八五六で岩形と承わっておりますが……」
「その他に、東京の方で事務所か何か御存じですか……通知なぞを出されるような……」
「別に存じませぬ。何分極く最近の取引で、こちらでも行届きかねておりましたような事で……御用の節はいつも岩形さんが御自身にお見えになりましたので……」
「いや有難う。いずれ又……」
 と云い棄てて電話を切った。そうして急いで寝室に引っ返して、彼《か》の半分に裂けた岩形氏の名刺を鼻に当てて嗅いでみると果して……果して極めて淡《うす》いながら、疑いもないヘリオトロープの香気が仄《ほの》めいて来た。この名刺が一度、岩形氏の手から女に渡されて、又、何かの理由で岩形氏のポケットに帰って来たものである事は、もはや十中九分九厘まで疑う余地がなくなった。
 私は事件のまとまりが、やっと付いたように思ったので内心でほっと安心をした。そうして今聞いた電話の要点だけを熱海検事に報告したが、そのうちに今まで熱心に岩形氏の屍骸の周囲《まわり》を検査していた志免警部は、突然つかつかと私の傍へ近づいて来て、岩形氏の泥靴を私の鼻の先へ突き付けた。
「……何だ……」
 と私は面喰って身を引きながら云ったが、志免刑事がそうした理由は直ぐに判然《わか》った。その靴の踵《かかと》の処と、爪先の処に両方とも、普通と違った赤い色の土が、極く細かな線になってこびり付いていた。
「……うん……赤|煉瓦《れんが》の水溜りだね。あそこの家《うち》の……」
 と云いながら私はうなずいた。
「……だろうと思うんですが……他の処にはないようですから……」
 私はもう一度深くうなずいた。
 すると殆んど同時に入口の扉《ドア》が開《あ》いて金丸刑事が帰って来たが、汗を拭き拭き私に一枚の名刺を渡した。それは女持ちの小型なアイボリー紙で上等のインキで小さく田中春と印刷してある。それを受け取るとすぐに鼻に当ててみたが思わずニッコリ笑った。すると飯村は、それを冗談とでも思ったのか一緒になって笑い出した。
「いや銀行でも弱ったんです。私が女の事を貴下《あなた》にお話しているうちに、若い行員どもが、引っ切りなしにゲラゲラ笑うんで困りました」
 私は事件の緒《いとぐち》がいよいよハッキリと付いて来たので急に気が浮き浮きして来た。
「ああ。いい臭いだ。おれが犬なら直ぐに女を探し出すんだがなあ。……こんな時にスコットランドヤードの探偵犬《ボッブ》が居るといいんだがなあ」
 この時に杉川医師も階下《した》から上って来た。
「ボーイがやっと意識を回復したようですが。……どうもヒステリーの被告みたいに、神経性の熱を四十度も出しやがって譫言《うわごと》ばかり……」
「どんな譫言を……」
 と私は急に真面目になって問うた。
「黒い洋服だ。黒い洋服だ。美人美人。素敵だ素敵だなぞと……そうして今眼をあけると直ぐに起き上って、側に居たボーイ頭に、もう正午《ひる》過ぎですかと尋ねたりしておりましたが、馬鹿な奴で……貴下《あなた》に睨まれたのが余程こたえたと見えまして……」
「ははは。意気地のない奴だ」
「何かお尋ねになりますか……」
「いや、もう宜しい。犯人はもう解っている」
「え」
 と皆は一時に私の顔を見た。私はちょっと眼を閉じて頭の中を整理すると、すぐに又見開いて、皆の顔を見まわした。
「犯人はやはりその女です。その女……田中春というのは多分偽名でしょうが……その女は泥酔している紳士に麻酔剤か何か嗅がして、シャツの上膊部を切り破って、薬液を注射して殺した。そうして覚悟の自殺と見せるために、瓶や鋏に被害者自身の指紋をつけたばかりでなく、上衣の外套を着せて、泥靴まで穿かせて、帽子や注射器までもきちんと整理して出て行った」
「その女を犯人と認める理由は……」
 という質問が極めて自然に熱海検事の口から出た。私はその方にちょっと頭を下げながら説明を続けた。
「第一の理由を述べると、女はその前にも一度、この紳士
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