から仕方がない。君の銀行はこの間から大株でかなり儲かっている筈だから、それ位の事はどうにかならぬ事はあるまい……と高飛車で図星を刺されましたので仕方なしに承知をしたのでした。実は支配人も驚いたのだそうです。取引所の事情を知り抜いている話ぶりなので……そうして内々で準備をしていると一昨々日《さきおととい》……十一日の朝になって岩形氏がひょっこり遣って来て、いつもの通りの態度で三千円の小切手を出した序《ついで》に、例の金の準備はどうだと尋ねたそうです。これに対して支配人は、準備はちゃんと出来ている。しかし何とかしてもらえまいかと頼みますと岩形氏はじっと考えたあげく極めて無造作な口調で、それではその五分の四だけ引き出す事にしよう。そうして受取り人には田中|春《はる》という極く確かな女を出すからよろしく頼む。なお間違いのないように、割《わ》り符《ふだ》を渡しておこう……と云って自分の名刺を半分に割《さ》いて、一つを支配人に渡し、残りの一つを自分のポケットに入れたそうです」
「ええと。一寸待ってくれ。その名刺の半分はそこに在るのかね」
「はい。私がここに持っております」
「それは名刺の上半部で、岩形の形という字の上が残っていはしないか」
「そうです。どうしておわかりになりますか……」
「その下の半分はこっちに在る。岩形氏の背広のポケットから出て来た」
「……………」
「それからどうした」
「一寸支配人が代ってお話をしたいとの事ですが宜しいですか」
「ああどうか。まだ報告があるかね」
「ありません……それだけです」
「それじゃ君はもっと詳しくその婦人の様子を銀行員から聞き出してくれ給え。俥《くるま》に乗って来たかどうか。どっちから来てどっちの方へ去ったか。金はどんなものに入れて持って行ったか、その他服装や顔立ちなぞをもっと細かく……そして直ぐ帰って来て……」
「アア……モシモシ……アア……モシモシ……狭山さんですか。初めてで失礼ですが……私が当行の支配人|石持《いしもち》です。どうも飛んだ御手数で……先程の二十円札はたしかに当行から岩形さんの代理のお方にお渡ししたものです。実は岩形さんの件に就きましては、その中《うち》に一度お調べを願おうかと思っておりました次第で……岩形圭吾というのは紳士録には青森県の富豪と載っているにはおります。しかし昨日《きのう》、同地方出身の友人に会いましたから、それとなく様子を聞き糺《ただ》してみますと、その岩形圭吾氏と申しますのは本年の二月に肺炎で死亡致しておりますそうで……」
「岩形氏の事は今調べているところです。いずれわかったらお知らせします。……で、それに就いて少々お訊ねしたい事がありますから何卒《どうぞ》御腹蔵なく……」
「は、はい。それはお言葉までもなく……」
それから私が問い糺したところによると、石持氏は流石《さすが》に小銀行の支配人だけあって、相当苦労をしているらしく、着眼点が普通と違っていた。石持氏が真先に気付いたのは、女が平生あまり化粧をした者でない事であった。真白くコテコテと塗り立てているにはいたが、それは処々ムラになっていて、額の生え際なぞは汗で剥げかかっていた。尤も地肌は白い方であったが眉は正《まさ》しく描いたもので、本来の眉よりはずっと幅広く長く見せかけてあった。背丈は普通より稍《やや》高く、五尺三寸位のところで、着物の着こなしがどことなく身体《からだ》にそぐわぬように見えた。姿勢は非常にいい方で、日本人の女としては幾分|反《そ》り気味に見えた。その顔の特徴は二重瞼の張りのある眼と、女にしては強過ぎる程きりりと締まった口元とであった。しかしその言葉付きと眼の光りは、如何にも日本婦人らしい清《すず》しさをあらわしていて、混血児らしいところや、支那婦人らしい物ごしは毛頭感じなかった。
その女は一昨十二日の午後一時きっかりに東洋銀行の表口へ俥を乗りつけて、応接間で石持氏に面会すると、革の手提袋から岩形氏の名刺の下半分と、岩形氏直筆の十一万五千円の受取証と、それから田中春と書いた小型の名刺を出して、つつましやかに石持氏に渡した。石持氏はそれを一応調べると、店員に命じて紙幣を丸テーブルの上に積み上げさせて、念のために今一応自身で勘定をして見せたが、相当時間がかかったにも拘わらず、女は極めて注意深く石持氏の手許を見詰めていたようであった。それから石持氏は、
「どうしてお持ちになりますか」
と訊ねてみると、女は矢張りつつましやかに、
「どうぞ恐れ入りますが新聞紙で真四角に包んで頂きとうございます」
と云ったからその通りにしてやると、女は手提の中から大きな白|金巾《かなきん》の風呂敷を出して、丁寧に包んで、それから俥屋を呼ぶと新橋二五〇九と染め抜いた法被《はっぴ》を着た、若い二十代の俥屋が這入
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