に乗った。一事件が済んだ後《のち》で私の前に来ると志免はいつもこうであった。
「……ゴンクールはきっと僕が生捕《いけどり》にして見せるからと云って嬢次君が藤波弁護士にことづけたんですけど、何だか不安でしようがなかったんです。……その上に樫尾君が事件の号外は新聞社に出させてもいい。現在の日本の新聞では号外に着手してから刷り出す迄の時間が最少限一時間程度で、横浜はそれから又三十分位遅れて出るのだから、その加減を見て横浜のグランドホテルに居るゴンクールに電話をかければ彼は東京と横浜の号外をドチラも見ないまま狭山さんの処へ来る事になる。一方に狭山さんは号外を見ておられるにきまっているからとても面白い取組になる。又、万一、途中でゴンクールが気が付いて逃げ出したにしても、大抵胆を潰している筈だから二度と手を出す気にはなるまい。あんな奴は国際問題に手を出す柄じゃない。市俄古あたりの玉ころがしの親分が似合い相当だと云うのです。私も成る程とは思いましたが、聊《いささ》か残念に思っているところへ、帝国ホテルで荷物片付の指揮をしながら、私共の通訳をして美人連中を取調べていた樫尾君が、今柏木の狭山さんの処に居るゴンクールから電話だ……と云った時には飛び上りましたよ。天祐にも何にも向うから引っかかって来たんですからね……取るものも取りあえず部下を引っぱって向うの門の処まで来てみたんです。……ところが来てみると課長殿が窓一ぱいに立ちはだかって腰のピストルをしっかり握り締めながら、室《へや》の中を覗いておられるでしょう。そこで此奴《こいつ》はうっかり手が出せないなと思ってそーっと課長殿の背後《うしろ》の椿の蔭から覗いて見ると驚きましたねえ。……あのゴンクールの銃先《つつさき》を真向《まとも》に見ながら、あれだけの芝居を打つなんか、とても吾々には出来ません。扉《ドア》の外で黙って見ているお母さんの気強さにも呆れましたが……手に汗を握らせられましたよ。まったく……」
志免警視は心から感心したらしく眼をしばたたいた。先刻《さっき》からてれ隠しに台所の方へ出たり入ったりしてお茶を入れかけていた嬢次|母子《おやこ》は首すじまで赤くなってしまった。
「……いいえ……何でもないんです」
と云ううちに振袖に赤い扱帯《しごき》を襷《たすき》がけにして、お茶を給仕していた少年は、汗ばむ程上気しながら椅子に腰をかけると、手を伸ばして背後《うしろ》に横たわるゴンクールのポケットから巨大なブローニングを取り出した。その銃口《つつぐち》を覗いて見ながら……、
「……何でもないんです。今朝《けさ》早くお母さんに合鍵を渡して、ゴンクールの寝室から生命《いのち》がけでこのブローニングを取って来てもらったのです。僕が行ってもよかったんですけど、母が承知しなかったもんですからね。そうして銃身の撥条《バネ》を墨汁《すみ》で塗ったヒューズと取り換えておいたのです。……ですから撃鉄《ひきがね》を引いても落ちやしないんです。この通りです」
と云ううちにゴンクール氏の心臓に向けて撃鉄《ひきがね》を引いて見せた。
……轟然一発……。
薄い煙がゴンクール氏を包んだ。白いワイシャツに黒い穴が開いて、その周囲《まわり》を焼け焦げが斑々《まだらまだら》にめらめらと焼け拡がった。……と見る間にその下の茶色の毛襯衣《けシャツ》の下から、黒い血の色が雲のように湧き出した。
「……あれっ……」
と母親が悲鳴をあげた。
玄関に残っていた四名の刑事も驚いたらしく、どかどかと這入って来たが、志免警視に支えられたまま一斉に屍体を凝視した。
「むむむむ……うう……」
と呻吟《しんぎん》しつつ屍体が強直したと思うと、起き上るかのようにうつ伏せに寝返ったが、そのまま又べったりと長くなってしまった。ごろごろと咽喉《のど》を鳴らして赤黒い液体を吐き出しながら……。
皆立ったまま顔を見合わせた。一人残らず色を失っていた。
思わず立ち上って屍体をじっと凝視したまま、唇を噛んでいた少年も、全く血の気をなくしていた。そうしてぶるぶると震え出しながら、力なくブローニングを取り落すと、がっくりとうなだれたまま志免警視の方に両手をさし出した。涙がはらはらと床の上に滴り落ちた。
「……縛って……下さい。僕は……人を殺しました」
「あはははははは」
と志免警視は又も制服を反《そ》りかえらして笑い出した。剣の柄をがちゃがちゃと乗馬ズボンの背後《うしろ》に廻しながら、帽子をぐいと阿弥陀《あみだ》にした。
「……ゴンクールの奴、途中で気が付いて取り換えやがったんだ。……あはははははは……自業自得だ……」
皆呆れて志免警視の顔を見た。
「いや……心配しなくてよろしい……君は無罪だ」
「えっ……」
と少年は初めて顔を上げた。意外の言葉に眼を
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