ぬお父さんの遺書を発見したのみならず、激昂の余り、独断で行動を初めましたために、事件が意外に急速な発展を致しまして、私も面喰いましたような事で、思わぬ失礼を致しました。
……一方に話が相前後致しますが、私共が日本に到着致しますと同時に松平男爵閣下から『構わぬから大ぴらで遣れ。外交上の面倒は引き受ける。日米親善も日仏協商も、日英同盟も気にかける必要はない。飛行機戦と潜水戦を二十年間続け得る準備が出来ているから』……とのお話がありまして、高星総監に御紹介を受けておりましたので、皆様とよくお打ち合わせする隙《ひま》もないまま思いきった御処置を志村さんにお願いする一方に、悪い事とは存じながら嬢次君に色々と芝居をしてもらいまして、却って御心労をかけるような事に相成りまして面目次第も御座いませぬ。何事も私の微力の致しますところと思召《おぼしめ》して平《ひら》にお許しの程をお願い致します。
……しかし幸いに天祐を得ましてこの奸悪団体を二重橋橋下に殲滅《せんめつ》しまして、吾々大和民族の前途を泰山の安きに置くを得ました事は、邦家のため御同慶に堪えませぬ。何卒これを御縁と致しまして何分の御庇護のほど、謹んで希望に堪えませぬ」
私は無言のまま、そんな固くるしい挨拶を受ける器械みたように腰を折り曲げて礼を返した。そうして挨拶を終るや否や、待ちかねたように掌《てのひら》の中の名刺を見たが、その名刺には矢張り「予備役陸軍歩兵大尉……樫尾初蔵」という二年|前《ぜん》の変名が使ってあった。
二人はそのままもう一度無言の裡に眼と眼を見交した。その樫尾大尉の艱難《かんなん》に鍛い上げた皮膚の色と、鉄石の如き意志を輝かす黒い瞳を正視した瞬間に、私はすべてを察してしまった。
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……この本名の判らない男こそ真個《ほんとう》の「暗黒公使《ダーク・ミニスター》」である……大和民族の危機を救うべく、世界を跨にかけて活躍奮闘している孤独のダーク・ミニスターである。……今度の事件のからくりは全部この男の仕事なのだ。……この男は嬢次母子や、かくいう私を犠牲にする位の事は、何とも思わないで自由自在にこき使ったのだ……俺は到底この男には適《かな》わない。否々。嬢次母子の気強さにも、志免警視の勇敢さにも俺は到底|敵《かな》いっこないのだ。
……早く警察界を引退していてよかった……。
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……と……。その時に樫尾大尉は、傍《かたわら》のカルロ・ナイン殿下をかえり見て何やら眼くばせをした。殿下は大尉の顔を見て莞爾《にっこり》とうなずかれると、つかつかと私に近寄って、小さな手をさし出された。私は又も文句なしにその手を握らせられた。
「……サヤマ……サン。アリガト。フランス……ノ……チチ……ニ……テガミ……デ……シラセ……マス……」
という無邪気な日本語が殿下の唇から洩れた。私は露西亜の双鷲《そうしゅう》勲章を受けた以上の感激に打たれて、思わず最敬礼をお返ししたのであったが、その瞬間に私は、私の第六感の暗示が一つ残らず鮮かに的中していた事を覚ったのであった。そうして又それと同時に、その第六感の暗示を判断した私の頭が、如何にみじめなあたまと行動であったかを覚らせられて、気が遠くなる程の面目なさを感じさせられつつ恐る恐る机の前に引返したのであった。
……これを仏蘭西のウラジミル大公に報告されてなるものか……。
と吾れにもあらず赤面しつつ……するとその私を追いかけるように樫尾大尉が進み出て私に一通の手紙を渡した。
それは日本封筒に私の名前だけを書いたもので署名は松平友麿となっている。何事かと思って封を開いて見ると、それは明後日の午後六時から、男爵の私邸で小宴を開くから来てくれという意味の、儀礼をつくした案内状で、最後に出席する人々の名前が書いてある。
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カルロ・ナイン殿下。高星警視総監。狭山九郎太。志免警視。藤波弁護士。志村のぶ子。呉井嬢次。樫尾初蔵。松平男爵夫妻……以上……。
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私はすぐにこの招待の意味を覚った。当日一同が打ち解けた席上で、もう一度今日の話をくり返して恥の上塗りをしなければならぬ事を知りつつ、どうしても後へ退《ひ》けない事を覚悟した。
私が承諾した意味を答えると、樫尾大尉は巨大な体躯を傾けて一礼しつつ、辞し去ろうとした。するとその時に嬢次少年は私の背後の机の下の暗い処から、黒いボックス皮の手提鞄を取り出して、中に詰まっている絵葉書を掻き廻していたが、やがてその底の方から、四角に折った薄い新聞包を取り出すと、帰りかけた樫尾大尉を追かけるようにして、無言のまま手渡しした。
受け取った樫尾大尉は、半身を振り返らしたまま不審そうに少年の顔と新聞包を見比べた。
「何ですか……こ
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