顔を見まもった。
「わたくし……欺されているのでございましょうか」
「ハ――イ」
と云いさしてストーン氏は又も笑いを押えるべくハンカチで口を拭いた。女は二三度大きく瞬《まばたき》をした。
「……どうして欺されているのでございましょうか」
こう尋ねられるとストーン氏は流石《さすが》に気の毒に堪えぬという態度になった。両脚を引っこめて、丸|卓子《テーブル》に身体《からだ》を凭《もた》せて、小学校の教員が児童を諭《さと》すような憐れみ深い、親切に充ち満ちた顔になった。
「あなたは、欺されていること、わかりませんか」
「はい……」
女は又も二三度|瞬《まばたき》をした。微笑がストーン氏の頬を横切って消え失せた。
「あなたはジョージのお母さんの名前を知っておりますか」
「はい。嬢次様から承わりました。志村のぶ子様とおっしゃるのでしょう」
「は――い。その志村のぶ子の所に行くとジョージは云いましたか」
「はい。そう仰言って貴方がお出でになる二十分ばかり前に、此家《ここ》をお出かけになりました」
微笑がもう一度ちらりとストーン氏の唇を掠め去った。
「ジョージはシムラ・ノブコの処へ行く事は出来ませぬ」
「何故でございましょう」
ストーン氏は一寸《ちょっと》躊躇《ちゅうちょ》した。しかし思い切った口調で云い放った。
「シムラ・ノブコは二年前に天国に行っております」
「そのようなこと……どうして御存じなのですか」
ストーン氏は又一寸考えた。けれども今度はすぐに言葉を続けた。
「二年前の日本の新聞に出ております。運転手に欺されて、海に連れて行かれたと書いてあります」
「けれども、お亡くなりになったとは書いてございますまい」
「……ははは……あなたその新聞見ましたか」
「はい……」
「けれども貴女《あなた》は今……クレイ・ジョージが志村のぶ子と一緒に天国へ行くと……」
「はい……。これから行かれるのでございます」
「それではシムラ・ノブコは生きているのですね」
「はい」[#底本では受けのカギカッコの前に句点あり]
「どこに……」
「あなたの曲馬団の中に……」
「ヒホ――オオ……」
「私は嬢次様に紹介して頂きました」
「……フホ――オオ……」
とストーン氏はいよいよ眼を丸くした。いかにも相手を子供扱いしているかのように、ニコニコ笑い出しながら……。
「……ホオオオ……それは……ミセス・シムラは何という名前になっておりますか」
「……アスタ・セガンチニ……一番初めのプログラムに出ておいでになります。地図を読む馬の先生……」
「アッハッハッハッハッハッハッハッ……ワッハッハッハッハッハッハッ」
ストーン氏は又も堪らなく噴き出した。今度こそはとてもたまらないという風に、大きな腹を両手で押えて、文字通りに腹を抱えながら右に左に傾き笑った。
「ワハハハハハハハハハハ……お伽話《フェヤリー・ストーリース》[#「お伽話」のルビ]だ……地底の蜃気楼《ミラージ・イン・ザ・アース》[#「地底の蜃気楼」のルビ]……アッハッハッフッフッフッ……アスタ・セガンチニ……あの近眼婆さん……オースタリ人の志村のぶ子……アハハハハ。馬の先生……ウハハハ……」
けれども今度の笑いはそう長く続かなかった。ストーン氏はそうやって笑っているうちに、女の欺され方があんまり非道《ひど》いのに気付いたらしく、急に顔を撫でまわして、真面目な態度に立ち帰りながら問うた。ともすれば又も擽《くす》ぐられそうになる気持ちを肩で呼吸《いき》をして押え付けながら……。
「……ホ――オ……しかし……お嬢さん……。あのシムラ・ノブコは髪の毛が赤くて縮れていたでしょ。ははは……」
「あれは嬢次様がお母さまにお教えになったのでございます。日本人の髪は毎日オキシフルで洗っておりますとあのように赤黄色くなるそうでございます。眉毛も睫毛《まつげ》も……」
「ははは……。しかしあんなに高い鼻があったでしょう」
「隆鼻術をされたのでございます。よく似合っておられます」
「……なるほど……それでもあの頬の骨の形は日本人と違いますでしょ」
「口の内側からお削りになったのだそうです」
「……あはははあ……痛かったでしょう。……それではあんなに色が白いのは牛乳のように……」
「仏蘭西《フランス》の砒素《ひそ》鉄剤を召していらっしゃるのです」
「ヒソテツ?」
「色の白くなるお薬です」
「あはは……あのお洒落《しゃれ》婆さん……あはは……あなたは本当に欺されていらっしゃいます」
「欺されてはおりません」
「……あはは……欺されておられるのです」
「嬢次様は人を欺すような方ではございません」
「OH……NO・NO・NO……貴女《あなた》よくお聞きなさい……ジョージは貴女を棄てて行ったのです。ほかに女の人が居るのです」
女は一
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