云っておられました。人を殺すおつもりならばそんな事を云ったりしたりなさる筈でございませぬ」
「いいえ。貴女《あなた》は違います。ジョージは馬の舞踏会で馬を暴れ出させて、大勢の女を殺して、私を非道《ひど》い眼に会わせようとしたのです」
「……まあ……何故嬢次様は貴方にそんな非道《ひど》い事をなさるのでしょう。貴方はそのように嬢次様ばかりをお疑いになるのでしょう。貴方はそんなにまで嬢次様に怨まれるような事をなすったのですか」
 ストーン氏は答えなかった。いつの間にか、立ち場が反対になって、自分が審問される事になったのが腹立たしいらしく、口を固く閉じて、大きな眼でじっと女を睨み付けた。
 しかし女はひるまなかった。今までの通りに静かな、落ち着いた口調で言葉を続けた。
「……貴方も多分御存じでございましょう。大馬と小犬の芝居が済んで、楽屋へ這入りますと、あのハドルスキーとかいう怖い方が、道化役者の支那人を大層叱っておられました。……御存じでございましょう」
 ストーン氏は依然として女を睨み付けたまま、知っているとも、知っていないとも答えなかった。
「……御存じでなければお話致しましょう……。嬢次様のお話に依りますと、初め道化役者が幕を出て行きます前に、演技の時間は何分ぐらいにしたら宜しいのですかと云ってハドルスキーさんに聞きましたら、ハドルスキーさんはフィフティ(五十分)と云って指を五本出されました。それを道化役者の支那人はフィフティン(十五分)と勘違いをして、一生懸命に時間を急いで済ましたのだそうです。支那人もハドルスキーさんも大変怒って、支那語と露西亜語で云い合っているのだと云って嬢次様が笑っておられました。こんな間違いが、どうして初めから嬢次様にわかりましょう。嬢次様は馬が厩の中に繋がれたまま暴れ出すように仕組んでおられましたので、決して人を殺すためではございませぬ」
「しかし、それは泥棒をするためでした」
 とストーン氏はぶっすり云った。
「いいえ。嬢次様は御自分のものを受取りにおいでになったのです。嬢次様が曲馬団を逃げ出されないように、嬢次様の一番大切なものを隠しておかれた貴方のなされ方が悪いのです。何故だかわかりませぬけれども嬢次様の自由を縛っておかれた、貴方がたの方がお悪いのです」
 ストーン氏の顔は又険しくなった。しかし、こんな事で争うのは大人気ないといった風に、軽く肩をゆすって手紙の方に眼を移した。
「それから貴女はジョージが楽屋へ這入るのを見ましたか」
「はい。見ておりました。ちょうどその時に貴方は楽屋の外から這入って来られまして、ハドルスキーさんに後の事を頼んで、カルロ・ナイン嬢に挨拶の言葉を教えて……自分はこれから警視庁に行くから嬢次の写真を四五枚持って来い。今まで帰らなければ仕方がない……と云われました。それでハドルスキーさんは直ぐに探しに行かれましたが間もなく出て来て……駄目だ錠前が三つも掛かっている上に、その機械が三つとも壊れている……と云われました。それで今度は貴方が御自分でお出でになりましたけれども、やはり錠前が開きませんで、写真がお手に入りませんでしたので、そのまま警視庁へお出かけになりました」
「あの錠前はジョージが壊したのです」
「それは、お言葉の通りでございます。嬢次様は曲馬団を出がけに、持って行く隙がおありになりませんでしたので、ただ、あなた方の合鍵で明けられないように、錠前だけ壊して行かれたのです」
 ストーン氏はちょっと唇を噛んだ。
「……ジョージはいつ楽屋へ這入りましたか」
「カルロ・ナイン嬢が挨拶を済ましますと直ぐに、正面の特等席で、恐ろしい叫び声が聞えて、一人の紳士が曲馬場の中央《まんなか》に駈け出して来ましたが、どうした訳か狂人《きちがい》のようになっておりました。それを楽屋から見付けたハドルスキーさんが駈け出して行って抱き止めますと間もなく又、曲馬場の外で、馬の嘶《いなな》き声と板を蹴る音が聞えましたから、楽屋の人は皆駈けつけました。女の人も皆、楽屋から出て来て見ておりましたが、その中《うち》に一匹の黒い馬が厩から飛び出して、跳ね狂いながら楽屋の方へ来ましたから、女の人たちは驚いて、泣き叫びながら曲馬場の方へ逃げて参りました。それと一緒に見物の人達が大勢、見物席から駈け出して参りましたので、その騒ぎに紛れて嬢次様は、楽屋に這入って行かれました」
「鞄の錠前は壊れていたでしょう」
「壊れた錠前を開ける位のことは嬢次様にとって何でもないのでございましょう」
「どうしてわかりますか」
「でも直ぐに黒い鞄を取って来られましたもの……」
「貴女《あなた》はその中のもの知っておりますか」
「はい。存じております。中には絵葉書が一杯入っておりました。嬢次様はそれを妾《わたし》にお見せになりま
前へ 次へ
全118ページ中94ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング