…それは初耳だ。そんな薬が出来たことは知らなかった……しかし、それは多分馬酔木の葉を煎じ詰めただけの粗悪品で動植物の駆虫用に製造したものと思うがね。私のはそれをもっともっと精製したもので、薄青い結晶になっている。それを錠剤にして馬に服《の》ませると、今云ったような恐ろしい中毒を起すが、反対に人間の重病患者に内服させると、人蔘《にんじん》と同じような効果をあらわすので、私は内職に製造して薬屋に売らせている。しかし材料が余計にないので、百姓が高価《たか》い事を云って困っているのだが……」
「亜弗利加《アフリカ》には馬酔木の大平原があるそうです」
「……ふ――む……君のお話の通りだと、原産地から直接にC・Pを取り寄せてもいい。精製するのは何でもないから……。いい事を聞かせて下すって有り難う」
「……私はその貴方の御本を読みましたから、いろんな事を考えるようになりました」
「……どんな事を……」
「すべての草や、木や、土や、生き物の中には、まだ沢山の秘密が隠れているだろうと……」
「……フーム……たとえば……」
「例えば何故人は毒薬を飲むと死ぬのだろう。その人の身体《からだ》を犯されると何故その人の生命《いのち》までいけなくなるのだろう。生命と身体とは別か一緒か……」
「ハハハハハハ。それは科学の問題ではない。哲学か、心霊学者の仕事だ。君は余りに空想に走り過ぎている」
「けれども若しこの事がハッキリとわかったら……毒薬も電気も何も使わずに、生命《いのち》だけ取ってしまう工夫が出来たら、身体《からだ》にちっとも傷が付きませんから、絶対に見つからない人殺しが出来ると思います」
「……………」
私はこの少年の想像力の強いのに驚いた。到底頭の干涸《ひか》らびた私なぞの及ぶところでない。十六や七の少年とは無論思えぬ。しかしその想像し得た事柄は、如何《いか》にも好奇心の強い、少年時代に相応した事柄ではある。
「成る程。それは一応|尤《もっと》もですね。しかし現代の科学はまだそこまで進歩していないのです。催眠術なぞいうものもありますが、あれは一種の神経作用を応用したもので、まだ根本的の説明が附いておりませぬ。この後、精神生理学というようなものでも発達したら、そんな理窟がわかるかも知れませぬが。とにかく僕の実験室には、そんな研究の材料も機械も何もありませんよ。……精神的に人を毒殺する……というような素晴らしい設備は……」
「はい。なくてもよろしゅうございます。私は今に自分で材料を揃えてやって見とうございます。そうしてその結果を貴方にお眼にかけとうございます」
少年はこう云いながら極《きま》り悪げにうつむいたが、この口調の中には動かす事の出来ない信念が籠もっていた。天国でも、星の世界でも眼の前に引き寄せようとする、希望と憧憬《あこがれ》に充ち満ちた少年らしい純情が響きあらわれていた。私はこの少年がどんな材料を集めて、どんな機械で、そうした不可能な実験をするかと思うと、微笑を禁ずる事が出来なかった。
しかし、それと同時に私は、この少年が、その姿や服装が異様に優れているのと同時に、その頭脳もまた尋常でない。少なくとも私の処に雇われたいために、想像も及ばぬ勉強をして来た物理、化学の研究が、正式の順序を踏んで来たものらしい事は否定出来なくなったのではたと当惑してしまった。何とかしてこの少年の希望を他所《ほか》へ転換出来ないものかと苦心しいしい、今度は別の方向から質問してみた。
「フーム。成る程……では、君が最後に従事しておられた仕事は何でしたか……」
こう訊ねると少年はきっと顔を上げた。何故かしらず、云い知れぬ気持の緊張に双頬《ほお》を白くしながら、キッパリと云った。
「……はい……丸の内で昨日《きのう》から興行を始めておりますバード・ストーンの曲馬団と一緒に参りました」
「えッ。あの曲馬団……」
と私は思わず大きな声を出した。そうして腹の底で……ウームと唸りながら眼を閉じた。
何を隠そう、そのバード・ストーン曲馬団こそは、私の辞職の直接の原因となっているもので、この曲馬団に関する私の意見と、警視総監……否、現内閣との意見が衝突さえしなければ、あんなに憤慨して辞職する必要はなかったものである。同時に、この少年がそのバード・ストーン曲馬団に属していた事が判明するとなれば、問題は最早《もはや》、区々たる呉井嬢次対、狭山九郎太の個人に関係した問題でなくなって来る。拡大も拡大……グーッと範囲を大きくして国家的、もしくは世界的の重大問題と変化して、私の頭の上から大盤石のように圧《お》しかかって来るのであった。
……ところで……話の途中ではあるがここで一応、誤解を避けておきたいのは、かくいう私が所謂《いわゆる》「政治問題」に対して絶対に無関心な人間……とい
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