以外に遠方の事はわからない。X光線以外に物は透かして見えない。指紋足跡の鑑識と、三段論法式の推理と、三等訊問法以外に犯罪の探偵方法はない……と固く信じているために、これ程に明白な第六感の存在を首肯する事が出来ないのです」
 と説明しても、
「へえ。そうですかね。どうも貴方の議論は高尚過ぎて、われわれには解りかねます」
 とか何とか云って逃げてしまう。そうして大神宮のお札《ふだ》売りか、大道易者にでも捕まったように、表面《うわべ》では尊敬して、内心では大いに軽蔑した表情をする。しかもその心の底では「どうもそんな事がありそうだ。時々そんな気がする事がある。或《あるい》は事実かも知れぬ」と感じながらも、それを押し隠そうと努力している。その証拠には、隠しても隠し切れぬ苦笑いがその表情の中に浮き出して来る。これはその人の心の底に隠れている第六感と、常識とが互に相争っているからで、この傾向は相手に地位があればある程、又は教育があればあるだけそれだけ甚しい。こうして現代の唯物科学的文明は、この大問題を見向きもしないで振り棄てて行くので、私はこれを人類文明の大損害と思っている。
 ところでここでもう一つ傍道《わきみち》に這入って説明しておかなければならぬ事は、人間が「第六感」を感ずる場合に三種類ある事である。
 元来この第六感というものは、今まで説明したところでもあらかた察しられる通り、人間が普通の常識とか、妄想とか、空想とか、又は智慧分別とかいう雑念の一切合財から綺麗に離れた、純真純一な空《から》っぽの頭になった時に感ずるもので、その第一例としては、和漢の高僧、名知識と呼ばれる人々が、遠方の出来事を直感したり、将来の一大事変を予知した話が、屡々《しばしば》世に伝えられている実例がある。しかし、これは余程修養の積んだ、悟りの開けた人間に限った話で、吾々のような俗物が、いつもかもそんな澄み切った、超人的な気持ちで澄まし込んで、無線電信のアンテナ見たいに、ふんだんに第六感ばかりを感じている訳には行かない。だから、これは第一種の特別の部類として敬遠しておく事にするが、しかしながら、かような第六感を感じ得るのは何もそんな名僧知識に限ったものではないのである。吾々のようなありふれた俗物でも、時々、名僧知識と同様の何の気もない無心状態になって「第六感」を受けている場合は屡々あり得るので、その場合を私は又、仮りに二種類に分けて考えているのである。
 その第一種は昔から俗に云う「虫の知らせ」という奴で、細かく分けると「鴉《からす》鳴きが悪い」とか、「下駄の鼻緒が切れた」とか「鼬《いたち》が道を切った」とか、又は「夢見が悪い」とか「鳥影がさした」とかいうあれである。これはその人間の第六感が或る事を感じていながら、まだ意識のうちに現われて来なかったのが、そんな出来事に出会った拍子にひょいと現われて、何かの異変を知らせているので、決して迷信とか旧弊といって排斥すべきものではないのである。
 譬《たと》えば鴉がいつもと違った陰気な低い声で「カアア……」と啼《な》く。おやと思ってその方を見る。その瞬間、その人の頭の中にあるいろいろのあり触れた妄念が綺麗に消え失せて、只ぽかんとした空《から》っぽの頭になる。そこに「第六感」がアリアリと浮かみ現われて、その日のうちに起りかけている悪い出来事を感じている。
 鼬がすらりと道を横切る。……アレ……と思ってその影を見送るはずみに、今まで考えて来た事をふッと忘れる。あとには「第六感」だけが残って、行く手の災難を予覚している。
 誰でも下駄の鼻緒が切れるとハッと思う。何も考えずにジッと見詰める。その心の空虚に「第六感」が閃めきあらわれて、誰かの大病を感付いている。
 夢を見て覚めた瞬間はどんな英雄豪傑でもぽかんとしている。その時に第六感が働く。夢が悪いのではない。その夢を見て覚めた瞬間に第六感が凶事を感ずるから、今見た夢が何かしら悪いしらせのように感じられるので、そんなのが後《のち》に正夢となって思い合わされるのである。
 前に挙げた数例でも同様で、別に鴉や、鼻緒や、鼬が凶事を知らせている訳ではない。その瞬間に受けた「第六感」の感じがよくなかったのを錯覚して、鴉や、鼻緒や、鼬が気を悪くさせたかのように人に話す……そうすると、そんな感じを経験した人が案外多いために、吾れも吾れもと共鳴してこんな迷信を云い伝えるようになったもので、そんな事を云い出すのが、頭の単純な昔の人間や、田舎者であるのを見ても、こうした俗説の起りが「第六感」の作用から起っている事がわかる。
 尚、こうした第六感の錯覚作用は次の例を見れば一層よく解る。
 よく……鳥影がさした。今日はお客があるだろう……なぞいう事があるが、これは普通女に限って云う事で男は滅多にこんな言
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