な》れ合いでやっているのかも知れねえぜ」
「キチガイ紳士も馴れ合いか」
「序《ついで》に馬も馴れ合いにしちまえ」
「しかし三万円てえと一寸《ちょっと》使えるな。誰か希望者は居ないか」
「カルロ・ナイン嬢なら只でも探しに行かあ」
「初めやがった好色漢《すけべえ》野郎!」
「いや真剣に……」
「なお悪いや」
「一体ジョージの野郎は何だって曲馬団を飛び出したんだろう」
「さあ……そいつはわからねえ」
「なあに。ちゃんと判っている。給金の事で団長と喧嘩《けんか》したんだ」
「イヨ。名探偵。どうして判った」
「芸当がジョージになったからもっと給金をクレイって云ったんだ」
「アハハハハ初まった初まった」
「ふざけるな」
「いやまったく。それで団長が憤《おこ》ったんだ。そんな金はカルロ・ナインだと」
「そこで談判がバードしたんだろう」
「ストーンと御免蒙ったってね」
「止《よ》せ止せ」
 一同は哄《どっ》と噴き出した。
 私は両手をポケットに突込んだ。双眼鏡と懐中電燈がある。それから金容《かねいれ》も……ピストルも……万年筆も……時計も……今四時四分を示している。ただ鼈甲縁《べっこうぶち》の眼鏡と、紫檀《したん》のステッキがない。そうして身体《からだ》を動かす拍子に両肩と首すじがピリピリと痛むのに気が付いた。大方ハドルスキーに抱きすくめられた時に暴れて磨《す》り剥《む》いたのであろう。
 私はあれから約三十分ばかりの間、どこで何をしていたか。
 私は眼を閉じてじっと記憶を辿ってみた。
 私の記憶の中から高い赤|煉瓦《れんが》の建物の二階に並んだ窓の二つが、ぎらぎらと夕陽に輝いて現れて来るようである。それから夥《おびただ》しく並んだ自動車の間を抜けて来るうちにT3588と番号を打った自動車を発見してはっとした記憶が浮み出て来るようである。それから長い長い砂利道を色々な人間とすれ違いながら歩いて来るうちに、どこか遠くでポンポンポンと撃ち出す試験射撃みたような銃声を聞いたようにも思う。頭の上を轟々《ごうごう》と音を立てて高架線の列車が走ったり、電車とすれすれに道を横切って誰かに叱られたようにも記憶するが、しかしそれが果して今日のことか、それともずっと以前の記憶の再現か、その辺がどうもハッキリしないようである。
 それから枯れ柳の並木の間に、青黒い瓦斯《ガス》灯のポールが並んだ狭い街に這入った。それから入口に赤い煉瓦を敷いた家……ここだ……ここに這入ったのだ。して見ると私は曲馬場の前に出て、鍛冶《かじ》橋を渡って、電車通りから弥左衛門町に這入ってここへ来たものらしい。とにかくあの曲馬場の楽屋で嬢次少年が書いた文句、
「この中の黒い鞄は頂戴致しました。御心配かけました」
 というのを読んでから今までの間の私の頭の中はオムレツにされかけた卵のように混乱していた。嬢次少年に欺かれ、弄《もてあそ》ばれたという憤怒の焔《ほのお》に熱し切っていた。そうしてその中に、今日の出来事の原因結果を整理しようと焦躁《あせ》っていた。
 ……何のために私をあれ程に欺いたのか。……何故に十四五分で済む演技を二十分以上もかかると嘘を吐《つ》いたか。何故に私を死ぬ程心配させたか……と考えては考え、考えつくしては又考え直した。けれどもそれはただ私の頭を混乱させるばかりで、何等の判断力も決定力も与えなかった。
 ……否……たった一つ……私がハドルスキーに抱きすくめられて藻掻《もが》いているうちに……まだ多少の推理力が頭の片隅に残っているうちにてっきりそれに違いないと思い込んだ事がある。そう気がつくと同時に一層猛烈に藻掻きまわって、嬢次少年を一刻も早く引っ捕えるべく、焦躁《あせ》りまわらずにはいられなくなった事がある。
 それは他でもない。嬢次少年の「復讐」という事であった。嬢次少年はその両親の讐敵《かたき》を取るべく私を手先に使って、曲馬団に致命的の打撃を与えているのだ……という私の直覚? であった。
 私はこうした事実を頭の片隅で推理すると同時に、ほんとうにキチガイになりかねないくらい恐怖戦慄したのであった。絶叫し狂乱したのであった。……如何にJ・I・Cが日本民族の敵とはいえ、如何に曲馬団が兇悪無残の無頼漢の集まりとはいえ、又、バード・ストーン団長が如何に両親の仇《かたき》とはいえ、これに致命的の打撃を与える手段として、何の罪も報いもない数十名の美人を狂馬の蹄鉄にかけて蹴殺させるというような極悪残忍な所業《しわざ》が、果して人間の……しかも一少年の頭から割り出され得ることであろうか。東洋文化の真只中、大東京の中心地として、馬場先の聖域と東京駅と、警視庁とを鼻の先に控えた晴れの場所で、ついこの間まで現役の探偵として多少共に人に知られた私をタマに遣《つか》って実行された事であろうか…
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