Cの仲間では首領のW・G氏以外は本名を明かしませずに番号ばかりで通信する規則になっておりますので、止むを得ませぬ時に仮名を使うだけでございます)と申す者が、或る重要な要件のため、外交界でよく申します「暗黒公使《ダーク・ミニスター》」と相成りまして、東洋方面に出張する事に相成りました旨、妾の手許に情報が参りました。それと同時に、その先発として、やはりJ・I・Cの一人となっております自称|樫尾初蔵《かしおはつぞう》と申す者が、J・I・Cの東部と西部と双方の首領の護照《ごしょう》を持ちまして、去る六月の末頃から日本に参りまして日本のJ・I・Cに属する日、鮮、支人の身元と消息を詳しく取り調べ初めたのでございます。
さて、この樫尾と申す者は、如何様《いかよう》な人物かと申しますと、若い折は露西亜人を装いまして彼得堡《ペトログラード》に入り込み、明石《あかし》大佐の配下に属してウラジミル大公の召使に住み込み、軍事探偵の仕事を致しておりました者で、日露戦争後は引き続き日本政府の信任を受けまして米国に入り、各種の秘密結社の内情を探っておりますうちに、前に申上げましたJ・I・C東部首領、W・ゴンクール氏と仲よく相成り、J・I・Cに加入いたしました人物と申すことが、後になって判明致しました。しかし最初のうち樫尾はそのような事を気《け》ぶりにも見せませず、ただJ・I・Cの仕事に就きまして色々と親切な忠告をしてくれましたので、私もこの二三箇月は何となく心強く存じておりました次第でございます。
そのうちに時日が経過致しまして今月に相成りますと、J・I・Cの西部首領、K一号こと、仮名、中村文吉が五日横浜入港の阿蘇丸にて来着致します旨を電照して参りました。それと同時に私に宛てました、J・I・C首領、W・ゴンクール氏の名前で――中村文吉が日本に来着する以前の二日横浜発イダホー丸にて至急米本国へ帰来すべし。後事は樫尾に委託すべし――との暗号電報が到着致しました。
私はかような不思議な命令を受けました事は今までに一度もございませんでした。J・I・Cの団員で新たに日本に到着いたしました者は、是非とも一度妾の処に立寄りまして、色々と打ち合わせを致しますのが、ほとんど規則のようになっていたのでございます。でございますからして、況《ま》して西部首領とも申す程の有力者が日本に参りましたならば、誰を差しおいても私が先に面会致しまして、事務の報告を致さねばならぬ筈なのに、これはどうした間違いかと存じまして、判断に苦しみました揚句《あげく》、至急に電話をかけて樫尾を当教会の地下室に呼び寄せて相談致しましたところ、樫尾は暫く考えました後《のち》に、
「この命令に背かれましたならば貴女《あなた》の生命《いのち》が危ないでしょう。しかし……しかし」
となおも二三度口籠もって躊躇致しましたが、やがて思い切った体《てい》で私の耳に口を寄せまして、あたりに人も居ないのに声をひそめまして、
「中村文吉氏の本名は志村浩太郎氏です。志村君は貴女が当教会《ここ》に居られる事を出発直前に耳にしておられる筈です。……左様《さよう》なら……」
と云い棄て教会の外へ駈け出し、そのまま自動車に飛び乗って姿を消してしまいました。
妾は余りの事に驚き呆れまして、暫くは教会の門前に立ちつくし、茫然とあとを見送っておりましたが、それにしてもこの十数年このかた打ち絶えておりました夫の消息を初めて聞き知りました妾の身として、たとい、J・I・Cの厳命でございましょうとも、何しにこのまま立ち去る事が出来ましょう。ましてその命令の意味も全く不明なのでございますから、妾は色々と考えをめぐらせました後《のち》、たといJ・I・Cの制裁を受くるとも構いませぬ覚悟で、そのまま日本に踏み止まり、夫の到着を待つことに決心致しましたが、そう致しておりますうちに去る六日の朝、帝国ホテルに到着、宿泊しておりました夫より、至急、本郷菊坂ホテルにて面会致したい旨を、電話にて申込んで参りましたから、取るものも取あえず駈け付けたのでございます。
さてその時の夫の申条《もうしじょう》、または私の返答致しました模様などは皆、妾の愚痴がましく相成りますから、ここには略させて頂きます。けれどもその結果、前に申上げました或る事情のために私の不貞を疑っておりました夫は、初めてその非を悟りましたものか、一言も物を申し得ぬように相成りまして、そのまま味気なく別れる事になりましたが、それから二三日の間と申すもの夫は一度も帝国ホテルに姿を見せませず、どこへか姿を晦《くら》ましてしまいました。
妾はそれと知りましてどう致したらよいものかと、毎日|時雨《しぐれ》勝ちの空を眺めて思案に暮れておりました。ほとんど食事も進みかねておりましたのでございますが、その折柄
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