味も一つ残らず記憶《おぼ》えているのでございますよ。私は貴方に殺される覚悟で貴方をお欺し申したのですよ。今の中《うち》ならまだ警視庁の手がまわっていないかも知れないではございませんか。貴方は今日横浜にお出でになって、メキシコ石油商会の競走用モーターボートをお買求めになって芝浦にお廻しになるのと一緒に、横浜を今夜の十時までに出帆する亜米利加《アメリカ》と加奈陀《カナダ》と智利《チリー》通いの船の名前をすっかり調べておいでになるではございませぬか。それは万一嬢次様が曲馬団の内情を警視庁にお訴えになった時に自分一人で外国にお逃げになる御用心のためではございませぬか。今ならまだ、お間に合うかも知れないではございませんか。
……わたくしは死ぬのはちっとも怖ろしくはございませぬ。妾は嬢次様にお別れした時から死んでいるのですもの……。御覧なさい。この絨毯《じゅうたん》は狭山様のお宅の床が、妾の血で穢《けがさ》れないように敷いたのです。壁紙も、窓かけも、何もかも妾の死に場所を綺麗《きれい》にしたいために新しく飾り付けたのです。
……こう申しましたら貴方はあの時計と髑髏《どくろ》が、何のために飾り付けてあるかという事が、おわかりになるでしょう。この二つのものは、わたくしが死を覚悟致しておりました事を、あとで狭山様におしらせするために飾り付けたのです。
……さ……お撃ちなさい。貴方のお手にはその撃鉄《ひきがね》を引くお力がないのですか。貴方のお心の力は、そのバネの力よりもお弱いのですか。貴方は今まで、何でもない事で、度々そんな事をなすった事がおありになるではございませぬか」
女の声は、その態度と共に益々冷やかに落ち着いて来た。これに反してその言葉は一句|毎《ごと》に烈しい意味を含んで来た。その一語一語は悉《ことごと》く一発の尖弾……死に値するものであった。
しかしその言葉が進むに連れて……否……女の言葉が烈しくなればなる程、室《へや》の中に充ち満ちていた殺気――間一髪を容れぬ危機は次第に遠退《とおの》いて行った。そうして女の冷やかな言葉の切れ目切れ目|毎《ごと》に、この世のものとも思われぬ深刻な淋しさが次第次第に深くなって来た。
「……貴方は、どうしても妾をお撃ちになりませぬね。……それではもっとお話し致しましょう。
……ゴンクール様……貴方は、わたくしが只、愛に溺れたため
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