としたがもう遅かった。最前からの疲れと、アルコールの利き目とが一緒にあらわれたものであろう。爪楊枝《つまようじ》を使う間もなく崩れ落ちるように睡くなった。全身の筋肉が綿のようにほごれて、骨の継ぎ目継ぎ目がぐらりぐらりと弛んで……足の裏が腫れぼったく熱くなって……頭の中が空っぽになって……その身体《からだ》をぐったりと椅子に寄せかけて……眼を閉じて……全身の疲れが快よく溶けて……流れて……恍惚となって……………………………………………………………………………………。
……そのうちにどこかの階段を慌しく駈け上って来る靴の音を、夢うつつのように聞いていた。
「大変だ大変だ」
「何だ何だ」
「火事か……喧嘩か……」
「戦争だ戦争だ。今撃ち合っているんだ。早く来い早く……」
「馬鹿にするな」
「いや本当だ。早く早く……」
「どこだどこだ」
「帝国ホテルだ……」
「嘘を吐《つ》け……担《かつ》ぐんだろう」
そんな夢のような会話と、階段を降りて行くオドロオドロしい五六人の足音を、やはり遠い世界の出来事のように聞いていた。そうして、その会話の通りの戦争を夢とも空想とも附かぬ世界にうつらうつらと描いていた。
カーキ色の城砦のような帝国ホテルの上空に、同じ色の山のような層雲がユラユラと流れかかって来る……その中から一台の、矢張りカーキ色をした米国の飛行船が現われて帝国ホテルの上空をグルグルと旋回し初める……帝国ホテルの屋上には何千何百ともわからぬ全裸体の美人の群れがブロンドの髪を振り乱して立ち並んで、手に手に銀色のピストルを差し上げながらポンポンポンポンと飛行船を目がけて撃ち放す……飛行船はタラタラと爆弾を落すと、見事に帝国ホテルに命中して、一斉に黄金色の火と煙を噴き上げる……美人の手足や、首や胴体がバラバラになって、木の葉のように虚空に散乱する。……帝国ホテルが真赤な血の色に染まって行く……飛行船も大火焔を噴き出して独楽《こま》のようにキリキリと廻転し初める……それを日比谷の大通りから米国の軍楽隊が囃《はや》し立てる……数万の見物が豆を焙《い》るように拍手喝采する……それを警視の正装した私が馬に乗って見廻りながら、これは困った事になって来た。どうしたらいいだろう。米国公使館に電話をかけてやろうか。どうしようか。……それともこれは見世物じゃないか知らん。それとも何かの広告かしら…
前へ
次へ
全236ページ中148ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング