ものである。更にこれを述べた嬢の態度は、実に真情に満ち満ちていて、衷心から……相済みませぬ……という感情に充たされていたために、英語の解らぬ人々までも同情を惹いたらしくあとで傍に立っている燕尾服の男が通訳をすると、皆割れるような喝采をして嬢の謝意に対する好意を表した。
けれどもその喝采の声は間もなくぴたりと止んだ。見物一同の眼はこの時、嬢と燕尾服の男を離れて、楽屋口から二人の人夫に運び出されて来る高さ二間幅一間ぐらいの大きな立看板に集まった。その表面には墨黒々と左《さ》のような文句が記されて、赤インキで二重圏点が附けてある。
[#ここから表罫囲み]
三万円の懸賞[#特大文字、二重丸傍点]
ジョージ・クレイを見知り給う人々に急告す。
今後一週間以内にジョージ・クレイの居所を通知し賜わりたる方々には先着者に一千円[#「一千円」は大文字、太字]を、その他の方々に五百円宛[#「五百円宛」は大文字、太字]を贈呈す。又同少年を同伴し賜わりたる御方には現金三万円[#「現金三万円」は大文字、太字、「三万円」に二重丸傍点]を贈呈す。尚、同少年を御見識りなき方々は表の絵看板を御覧ありたし。
麹町区内幸町帝国ホテル内
バード・ストーン曲馬団事務所[#大文字、太字][#地付き]
[#ここで表罫囲み終わり][#表罫囲み内の特に注記のない文字は中文字]
見物一同は暫くの間鳴りを鎮めてこの立看板を見詰めていたが、やがて前とは違った深い驚きのどよめきが一隅から起って、忽ち見物席の全部に及んだ。
三万円……高が一少年の行方を求むるために三万円の懸賞……あの少年が出場しないという事は、それ程にこの曲馬団に打撃を与えるのであろうか。一介の少年ジョージ・クレイの技術はそれ程に価値のあるものであろうか。そうして又、何という手早い、思いきった処置の取り方であろう。少年の失踪は今朝《けさ》の事ではないか……というような意味の驚きのどよめきでそれはあったろう。これは無理もない話で、事情を知っている私でさえもちょっと驚かされた位である。
人夫は立看板を抱えたまま、見物の前二三間の処まで来て場内を一周した。最後にこの掲示が見物席の正面、楽屋の出入口に持って行って、あとから出来上ったらしい赤インキの滴《したた》り流れた英文の立看板と一緒に立てかけられると、いつの間にか楽屋に引込んでしまった
前へ
次へ
全236ページ中140ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング