出ました千七百八十年の夏でしたか秋でしたかに、詩聖のシルレルが、その第一版を買って読んでいる中《うち》に、
「コンナ下らない詩集なんかモウ読んでやらないぞ」
 てんで地面《じびた》にタタキ付けた。それから又拾い上げて先の方を読んで行くうちに、今度は三拝九拝して涙を流しながら、
「ゲーテ様。あなたは詩の神様です。私は貴方のおみ足の泥を嘗《な》めるにも足りない哀れな者です」
 とか何とか云ってオデコの上に詩集を押付けたってえ話が残っている。それがこの本に違いない。独逸人に持たせたら十万マークでも手放さないだろうテンデ、アトから中江先生が説明して下さいましたがね。お人が悪うがすよ中江先生は……ハハハ。もっとも私《あっし》もこの本は東京へ持って行けあ汽車賃ぐらいの事じゃなさそうだ……ぐらいの事はカン付いていましたがね。慾をかわいたって仕様が御座んせん。
 ヘエヘエ。今度ソンナのが出ましたらイの一番に先生の処へ持ってまいります。大学の○○科で……ヘエ。助教授室……ヘエヘエ。何卒《どうぞ》よろしく御願い致します。
 ヘエヘエ。法文科の中江先生ですか。よく手前どもの処へお見えになりますよ。古い本をお
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