と三万葉に及びしを、当来の参集に頒《わか》ちしに、三日に足らずして悉《つ》くせりといふ。
かくの如きの物語、六道《りくどう》の巷《ちまた》を娑婆《しゃば》にあらはし、業報《ごっぽう》の理趣《ことわり》を眼前に転ず。聞く煩悩即菩提《ぼんのうそくぼだい》、六塵即浄土《ろくじんそくじょうど》と、呉家祖先の冥福、末代正等正覚《まつだいしょうとうしょうがく》の結縁《けちえん》まことに涯《かぎり》あるべからず。呉家の後《のち》に生るゝ男女《なんにょ》にして此の鴻恩《こうおん》を報ぜむと欲せば、深く此旨を心に収め、法事念仏を怠る事なかれ。事|他聞《たもん》を許さず、過《あやま》つて洩るゝ時は、或《あるい》は他藩の怨《うらみ》を求めむ事を恐る。当寺当時の住職、及《および》、呉家の当主夫妻にのみ止《とど》む可し。穴賢《あなかしこ》。
延宝七年七月七日[#地から3字上げ]一行しるす
◆第三参考[#「第三参考」は太字] 野見山法倫《のみやまほうりん》氏談話
▼聴取日時[#「聴取日時」は太字] 前同日午後三時頃
▼聴取場所[#「聴取場所」は太字] 如月寺|方丈《ほうじょう》に於て
▼同席者[#「同席者」は太字] 野見山法倫氏(同寺の住職にして当時七十七歳。同年八月歿)
余《よ》(W氏)=以上二人=
――その御不審は誠に御尤《ごもっと》もで御座います。この縁起の本文にも書いて御座いまする通り、今より百余年の昔に、呉家の中興の祖とも申すべき虹汀《こうてい》様が、残らず焼いて灰にして、弥勒《みろく》の世までもと封じておかれました絵巻物が、如何ようなる仔細で旧《もと》の絵巻物の形に立ち帰って、今の世に現われまして、呉一郎殿のお手に渡って、あられもない御乱心の種と相成りましたか……という事に就きましては、実は、お尋ねがなくとも申し上げて貴方様《あなたさま》(W氏)の御分別を仰ぎたいと思うておったところで御座いました。
――元来この縁起の書付《かきつけ》と申しますのは、呉家の名跡《みょうせき》を嗣《つ》がるる御主人夫婦が初めての御墓参の時に人を払って御覧に入れる事に相成っております。そのほか呉家の御血統に関係致しました事は、尋常|在《あ》り来《きた》りの事のほか、一切他人に洩らしませぬのが、開山一行上人|以来《このかた》、当寺の住職たるものの本分の秘密と定められておるので御座いますが、余儀ない御方の御尋ねで御座いますし、殊更《ことさら》には、呉一郎殿が真《まこと》の狂気か佯《いつわ》りかが相判《あいわか》りますることが、罪人となられるか、なられぬかの境い目と承《うけたまわ》りますれば、何をお隠し申しましょう……。
――と申しまする仔細はほかでも御座いませぬ。この寺の御本尊様の御胎内に、灰となって納まっている筈のあの絵巻物が、実は、旧《もと》の形のままでおります事を、ずっと以前から探り出しておった人が在ったので御座います。のみならず、その絵巻物を御本尊の胎内から取り出して、呉一郎殿の御病気を誘い出す原因《もと》を作られたのも、やはり、そのお方に違いないと思われる人物を、私はよう存じているので御座います。それは申す迄もなく私の心当りだけで申上げるので御座いますから、どなたでも意外に思召《おぼしめ》すか存じませぬが、外ならぬ呉一郎殿の実の母御《ははご》で、先年|直方《のうがた》で不思議の横死《おうし》を遂《と》げられた千世子殿の事で御座います……さよう……これは誠に怪《け》しからぬお話で、何よりも第一に、そんな恐ろしい申伝《もうしつた》えのある品物を、かけ換えのない吾児《わがこ》に渡すような無慈悲な母親が、この世に在ろうとは思われぬので御座いますが、これには何か深い仔細がありそうに思われますので、いずれに致しましても、これから申述べまするお話をお聴き取り下されますれば、やがて何事もお解りになるであろうと存じます。
――思いますればもう二《ふ》た昔……イヤ……もう三十年ほどにもなりましょうか。まことに古い事で御座います。もはや御承知か存じませぬが彼《か》の千世子という御婦人は、幼ない時から何事に依らず怜悧《りこう》発明な上に、手先の仕事に冴えたお方で、中にも絵を描《か》く事と、刺繍《ぬいとり》をする事が取分けてお上手だったそうで、まだお合羽《かっぱ》さんに振袖のイタイケ盛りの頃から、この寺の本堂の片隅なぞにタッタ一人でチョコナンと座って、襖《ふすま》に描いてある四季の花模様や、欄間《らんま》の天人の彫刻《ほりもの》なぞを写して御座る姿を、よく見受けたもので御座います。その頃からもうそれはそれは可愛らしい、人形のような眼鼻立ちで御座いましてナ……。
――ところが軈《やが》て十四か五になられた頃であったかと思います。学校の帰りと見えまして、海老茶《えびちゃ》の袴《はかま》を穿《は》かれた千世子殿が、風呂敷包みを抱えたままこの方丈《ほうじょう》に這入って来られまして、唯一人で茶を飲んでおりました私に向って……和尚《おしょう》様……あの御本尊の真黒い仏様の中には美しい絵巻物が這入っておるとの事じゃげなが、ソッと私に見せて下さらぬか……という御話で御座います。この絵巻物の事はこの寺の開山当時の大法要以来、この界隈の名高い話と相成っておりまして、この村でも心得ている者がいくらも居る筈で御座いますから、そんな者からでも聞かれたので御座いましょうか……その時に私は笑いまして……それはもうズットの昔に灰にして終《しま》ってある故《ゆえ》、今は見せとうても見せられぬ……と申しますと……それでも、たった今、あの仏様を私がゆすぶって見たら腹の中でコトコトと音がした。何かキット這入っているに違いない……とお千世殿が云われます。私はビックリ致しまして……そんな事をする者で勿《な》い。仏罰《ぶつばち》が当りますぞ……と叱って返しました……が……お千世殿が帰られてからタッタ一人になりますと扨《さて》、何とのう心配になって参りましたので、コッソリと本堂に参りまして、勿体《もったい》のうは御座いましたが、御本尊の弥勒《みろく》様をゆすぶり立てて見ますると、成る程コトコトと音が致します。ちょうど巻物のような形のものが、内部《なか》に納まっているに違いない、と思われる手応えで……。
――私は余りの不思議に胸が轟《とどろ》くほど驚き入りました。御本尊様の胎内は、この縁起の本文に書いてありまする通りに、絵巻物を焼いた灰ばかりと思い入っておりましたので……なれども、その時に私は又思案を致しまして、これは昔|虹汀《こうてい》様が、その絵巻物を焼いたと佯《いつわ》って実は、旧《もと》の形のままにして仏像へ納めておかれたものではあるまいか。その周囲《まわり》の詰め物が、年代に連れて乾き寛《ゆる》んで、このように音を立てるのではあるまいか。絵の好きな人に、ありそうな事で、絵巻物を惜しむの余りにそんな事にして、年月を重ねて供養していたならば、次第次第に因縁も薄らぎ、祟《たた》りも熄《や》むであろうと思うて、一存で計《はか》らわれた事ではあるまいか。それならば改めて取り出して焼き棄てるべきものであろうか。どうしたものであろうか……なぞと、様々に思わぬでは御座いませんでしたが、それにしても、ちっと腑《ふ》に落ちかねるところもあるようで、空恐ろしい気持ちも致しましたので、真逆《まさか》に御本尊の仏体を破って内部《なか》を見るような者もあるまいと思い思い、そのままに致しておりました。
――ところがその中《うち》に、月日の経つのはお早い事で、昨年の秋に相成りますと、ちょうどお彼岸の前の日の夕方の事、お八代殿と、一郎殿と、オモヨさんの三人が連れ立ってお墓掃除に見えました。その時にお八代さんは唯一人でお霊屋《たまや》の掃除をされる序《ついで》に、この方丈に立ち寄られて、茶を飲まれましたが、四方八方《よもやま》のお話の序に……まだちっと早いようじゃけれど、来年の春、一郎が六本松の学校(福岡高等学校)を卒業したならば、すぐに、モヨ子と祝言をさせようと思うが、どうであろうか……という相談で御座いました。お八代さんは、いつもこんな事を披露される前には、必ず私に話をされましたので、私は、まことに結構な事と御返事を致した事で御座いましたが、それから二人で立って本堂の縁側へ出てみますと、彼《か》の山門の横の墓所《はかしょ》の前に、お掃除を仕舞われた学校服姿の一郎殿と赤い帯を締めたオモヨさんとが、仲よさそうに並んで跼《かが》みながら、両手を合わせて御座るところが見えました。それを見るとお八代さんは何やら胸が塞《ふさ》がりましたらしく、急いで顔を押えながらお霊屋《たまや》の方へ行かれましたが、私はあとに残りまして、まことにお似つかわしいお二人の姿を見守りながら、呉様のお家の行く末の事なぞを考えるともなく考えておりますと、そのうちに、ゆくりなくも二《ふ》た昔以前のお千世殿のお話を思い出しましたので、思わずハッと致した事で御座いました。……尤もその折に、これは年寄の要らざる気苦労ではないかと考えぬでも御座いませなんだが、それでも気に懸《かか》っておりましたものと見えて、その夜になりますとどうしても寝つかれなくなったので御座います。
――そこで私はソロソロと起き上りましてナ……窓からさし込む月のあかりと、お燈明《とうみょう》の光を便《たよ》りに、唯一人で本堂に参りまして、御本尊様を勿体《もったい》のうは御座いましたが両手をかけて、ゆすぶり動かしてみますと、この前の時には慥《たし》かに聞えておりました物音が、すこしも致しませぬ。……のみならず何とのう中味が空虚《から》になっているような手応えでは御座いませぬか。
――その時にも虫が知らせたとでも申しましょうか、私は何やら空恐ろしい気持ちが致した事で御座いました。なれども思い切って御本尊様を厨子《ずし》の中から抱え卸して、この方丈に持って参りまして、眼鏡をかけてよくよく検《あらた》めて見ますと、一面の塵埃《ちりほこり》でチョット解り難《にく》うは御座いますが、お像の首が襟の処で切り嵌《は》めになっておりまして、力を入れて揺すぶりますと抜けるようになっております。私はその時に成る程と思いました。そうして轟く胸を押し鎮《しず》めながら廊下伝いに土間に持ち出して音を立てぬように塵を払うて参りまして、この電燈《あかり》の下に毛氈《もうせん》を敷いて、その切嵌《きりは》めの処から御像の首を抜いて見ますと、ちょうどお経筒《きょうづつ》の形に刳《く》り抜いてあります底の方に、古い唐紙《とうし》に包んだ灰があるにはありますが、その灰包みのまん中は、チャント巻物の軸の形に凹《くぼ》んでおります。それを見ますと虹汀様は絵巻物を焼いたと云うてはおかれましたが、別に何か深いお考えがあった事で御座いましょう。真実は焼かずに、旧《もと》の形のままにして納めておかれましたもので、それを又、誰かが盗んで行ったもの……という事は、もはや疑いもない事と相成りました。ハイ……その外には、周囲《まわり》に詰めてありましたらしい古綿のほか、紙屑《かみくず》一つ見当りませぬ……こちらへお出で下さい。御本尊をお眼にかけましょうから。=後段備考参照[#「後段備考参照」は太字]=
――御覧の通りで御座います……これは私の不念《ぶねん》と申しましょうか、何と申しましょうか……ああ……何か事が起らねばよいがと、胸を痛めました事は一通りでは御座いませなんだ。しかし又、一方から考えますと、もしお千世殿が持って行かれたものとすれば、何の必要があっての事であろうか。又、直方であのような最後を遂《と》げられた後《のち》、今日までの間、誰が隠し持っていたものであろうか。お千世殿の亡き跡を片付けられたお八代さんが、見付け出しておらるれば一言なりとも私に話されぬ筈はないが……なぞと、とつおいつ思案に暮れておりましたところへ、この度《たび》の事が起りましたので、最早《もはや》心も言葉も及ばぬ不思議と申すよりほかに致し方が御
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