出で法体《ほったい》となりて一笠一杖《いちりゅういちじょう》に身を托し、名勝旧跡を探りつゝ西を志す事一年に近く、長崎路より肥前|唐津《からつ》に入り来る。時に延宝二年春四月の末つかた、空坪年二十六歳なり。
 空坪此地の景勝を巡りて賞翫する事一方ならず。虹の松原に因《ちな》んで名を虹汀《こうてい》と改め、八景を選んで筆紙を展《の》べ、自ら版に起して洽《あま》ねく江湖《こうこ》に頒《わか》たん事を念《おも》へり。かくて滞留すること半載《はんさい》あまり、折ふし晩秋の月|円《まど》かなるに誘はれて旅宿を出で、虹の松原に上る。銀波、銀砂に列《つら》なる千古の名松は、清光の裡《うち》に風姿を悉《つ》くして、宛然《えんぜん》、名工の墨技《ぼくぎ》の天籟《てんらい》を帯びたるが如し。行く事一里、漁村|浜崎《はまさき》を過ぎて興|尚《なお》尽きず。更に流霜《りゅうそう》を逐《お》ふ事半里にして夷《えびす》の岬《はな》に到り、巌角に倚《よ》つて遥かに湾内の風光を望み、雁影を数へつゝ半宵《はんしょう》に到りぬ。
 折しもあれ一人の女性《にょしょう》あり。年の頃二八には過ぎじと思はるゝが、華やかなる袖を飜《ひるがえ》し、白く小さき足もと痛ましげに、荒磯の岩畳を渡りて虹汀の傍《かたわら》に近づき来り、見る人ありとも知らず西方に向ひて手を合はせ、良久《しばし》祈念を凝《こ》らすよと見えしが、涙を払ひて両袖をかき抱き、あはや海中に身を投ぜむ気色《きしょく》なり。虹汀|駭《おどろ》き馳せ寄りて抱き止め、程近き松原の砂清らかなる処に伴ひ、事の仔細を問ひ訊すに、かの乙女、はじめはひたぶるに打ち泣くのみなりしが、やう/\にして語り出づるやう。妾《わらわ》は此の浜崎といふ処に、呉《くれ》の某《なにがし》といふ家の一人娘にて六美女《むつみじょ》と申す者に侍《はべ》り。吾家《わがいえ》、代々此処の長をつとめて富み栄え候ひしが、満つれば欠くる世の習ひとかや。さるにても亦《また》、世に恐ろしき因縁とこそ申しつれ。昔より吾家に乱心の血脈尽きず。只今に及び候ては、妾唯一人、悲しくも生きて残り居る有様にてさむらふ。
 その最初《はじめ》を如何にと申すに、吾家に祖先より伝はれる一軸の絵巻物のはべり。中に美婦人の裸像を描き止《とど》めたり。承《うけたまわ》り及びたる処によれば、呉家の祖先なにがしと申せし人、最愛の夫人に死別せしを悲しみ、その屍《しかばね》の姿を丹青《たんせい》に写し止《とど》め、電光朝露の世の形見にせむと、心を尽して描き初《そ》めしが、如何なる故にかありけむ、その亡骸《なきがら》みる/\うちに壊乱《えらん》して、いまだその絵の半《なかば》にも及ばざるに、早くも一片の白骨と成り果て候ひぬ。あるじの歎き一方《ひとかた》ならず、遂に狂ほしき心地と相成り候ひしを、亡き夫人の妹くれがし氏《うじ》、いろ/\に介抱し侍りしが力及ばず、遂に夫人と同じ道に入り候ひぬ。その時妹のくれがし氏は、その狂へる人の胤《たね》を宿し、既に生み月に近き身に候ひしが、同じ歎きを悲しびて、やがて又、命《めい》を終らむばかりなりしを、やう/\に取り止め候ひしとか承り及びて候。
 去る程にその折ふし、筑前太宰府、観世音寺《かんぜおんじ》の仏体奉修の為め、京師《けいし》より罷下《まかりくだ》り候ひし、勝空《しょうくう》となん呼ばるゝ客僧《かくそう》あり。奉修の事|終《お》へて帰るさ、行脚《あんぎゃ》の次《ついで》に此のあたりに立ちまはり給ひしが、此の仔細を聞き及ばれて不憫《ふびん》の事とや思《おぼ》されけむ。吾家に錫《しゃく》を止《とど》め給ひてその巻物を披見《ひけん》せられ、仏前に引摂結縁《いんじょうけちえん》し給ひて懇《ねんごろ》に読経供養《どきょうくよう》を賜はりし後《のち》、裏庭に在りし大栴檀樹《だいせんだんじゅ》を伐《き》つて其の赤肉《せきにく》を選み、手づから弥勒菩薩《みろくぼさつ》の座像を刻《きざ》みて其の胎内に彼《か》の絵巻物を納め、吾家の仏壇の本尊に安置し、向後《こうご》この仏壇の奉仕と、此の巻物の披見は、此の家の女人のみを以て仕《つかまつ》る可し。そのほか一切の男子の者を構へて近づくる事|勿《なか》れと固く禁《いまし》めて立ち去り給ひぬ。
 その後、かの狂へる人の胤《たね》、玉の如き男子なりしが、事無く此世に生まれ出で、長じて妻を迎へ、吾家の名跡《みょうせき》を継ぎ候ひしが、勝空上人の戒めに依り、仏壇には余人を近づけしめず。閼伽《あか》、香華《こうげ》の供養をば、その妻女一人に司《つかさど》らしめつゝ、ひたすらに現世《げんぜ》の安穏、後生の善所を祈願し侍り。されども狂人の血を稟《う》け侍りし故にかありけむ。この男子壮年に及びて子宝《こだから》幾人《いくたり》を設けし後《のち》、又も妻女の早世に遭《あ》ふとひとしく乱心仕りて相果《あいは》て候。その後代々の男子の中に、折にふれ、事に障《さわ》りて狂気仕るもの、一人二人と有之《これあり》。その病態《さま》世の常ならず。或《あるい》は女人を殺《あや》めむと致し、又は女人の新墓《にいはか》に鋤鍬《すきくわ》を当つるなぞ、安からぬ事のみ致し、人々|之《これ》を止むる時は、その人をも撃ち殺し、傷つけ候のみならず、吾身も或は舌を噛み、又は縊《くび》れて死するなぞ、代々かはる事なく、誠に恐ろしき極みに侍り。
 かやうの仕儀に候へば、見る人、聞く人、などかは恐れ、危ぶまざらむ。あるひは男子の身にて彼《か》の絵巻物を窺ひたる祟《たた》りと申し聞え、又は不浄の女人の、彼《か》の仏像に近づける障《さわ》りかと怪しむなぞ、遠きも近きも相伝へて血縁を結ぶことを忌《い》み嫌ひ候為め、吾家の血統《ちすじ》の絶えなむとする事度々に及び候。さ候へば、あるひは金銀に明かし、又は人を遠き国々に求めて辛《から》くも名跡を相立て候ひしが、近年に及び候ては下賤|乞食《こつじき》に到るまでも、吾家の縁辺と申せば舌をふるはし身をわなゝかす様に侍り。只今にては血縁の者残らず絶え果て、妾《わらわ》、唯一人と相成りて候。わけても妾の兄|御前《ごぜん》二人は、此程引続きて悩乱の態《てい》となり、長兄は介隈《かいわい》の墓所を発《あば》き、次兄は妾を石にて打たむと仕るなぞ、恐ろしき事のみ致したる果《はて》、相次ぎて生命《いのち》を早め侍りしばかりにて、さる噂、一際《ひときわ》高まりたる折節に候へば大抵《およそ》の家の者は暇《いとま》を請ひ去り、永年召し使ひたる者も、妾を見候てため息を仕るのみ。はか/″\しく物云ふ者すらなく、わびしくも情なき極みと相成り果て候。
 さる程に、かゝる折柄、此の唐津藩の御家老職、雲井なにがしと申す人、此事を聞き及ばれ候ひて、御三男の喜三郎となん云へる御仁《ごじん》をば、妾が婿がねに賜はり、名跡を嗣《つ》がせらる可き御沙汰あり。召し使ひたる男女《なんにょ》共、あたゞに立ち騒ぎ打ち喜びて、かほどの首尾《しあわせ》はよもあらじと、今までに引き換へてさゞめき合ひ候ひしが、そが中に唯一人、妾を守《も》り育て候|乳母《めのと》の者、さまで嬉しからぬ面《おも》もちにて打ち沈み居り候故、その仔細を尋ね候ひしに、ため息して申し侍るやう。這《こ》はゆめ/\喜ばしき御沙汰には候はず、妾の夫にて御屋敷奉公致せる者より卒度《そと》洩《も》らし参りしやうには、彼《か》の喜三郎と云へる御仁は、雲井様の妾腹の御子にて剣術の達者、藩内随一の聞え高き御方なるが、若き時より御行跡穏やかならず、長崎|御番《ごばん》の御伴《おとも》して彼《か》の地に行かれしより丸山の遊び女《め》に浮かれ、遂《つい》にはよからぬ輩《ともがら》と交《まじわ》りを結びて彼処此処《かしこここ》の道場を破りまはり、茶屋小屋の押し借りするなぞ、狼籍《ろうぜき》の限りを尽して身の置き処無きまゝに、此程|窃《ひそ》かに御帰国ありし趣に候。さりながら御家中の誰あつて、嫁婿の御望みを承るものなきのみならず、蛇、毛虫の如く忌《い》み恐れ居り候ひし処、当家の事を聞き及ばれ、かく御沙汰ありしものに侍り。のみならず、其のまことの下心は、御事済《おんことず》みの後《のち》、御家老の御威光をもちて、呉家の物なりを家倉《いえくら》ともに押領せられむ結構とこそ承り候へ。御運とは申せ、力無き事とは申せ、御行末《おんゆくすえ》の痛はしさを思へば、眼も眩《く》れ、心も消えなむ計《ばか》りと、涙を流して申し候。妾もいかゞはせむと打ち惑ひ侍りしが、かよわき身の詮方《せんかた》もなく、案じ佗《わ》び候ひし折柄、此程の秋の取り入れごと相済み候ひて、稍《やや》落ち付き侍りし今宵《こよい》の事、彼《か》の雲井喜三郎といふ御仁、御供人《おんともびと》も召し連れ給はず、御羽織袴《おはおりはかま》も召されぬ儘《まま》、唯お一人にて、思ひもかけず吾家へお見えなされ候。
 這《こ》は如何にとて皆々|走《は》せまどひ、御酒肴《ごしゅこう》取りあへず奥座敷に請《しょう》じ参らするうち、妾も化粧をあらためて御席にまかり出で侍りしが、彼《か》の御仁体を見奉《みたてまつ》るに、半面は焼け爛《ただ》れて偏《ひと》へに土くれの如く、又残る片側《かたつら》は、眉|千切《ちぎ》れ絶え、眥《まなじり》白く出で、唇|斜《ななめ》に偏《かたよ》りて、まことに鬼の形《すがた》とや云はむ。剰《あまつさ》へ何方《いずかた》にて召されしものか、御酒気あたりを薫《くん》じ払ひて、そのおそろしさ、身うちわなゝくばかりに侍り。そをやう/\に堪《た》へ忍びて、心も危ふく御酌《おしゃく》に立ち候ひしに、御盃の数いく程も無きうちに、無手《むず》と妾の手を執《と》り給ひつ。その時、妾、思はず手を引き候ひしに、御盃の中のもの、御膝に打ちこぼれしより、忽《たちま》ち御酒乱の体《てい》とならせ給ひ、押し止《とど》むる乳母を抜く手を見せず討ち放され候。妾は其の間に逃れ出で、やう/\に此処まで参り侍りしが、かばかり打ち続く吾家の不祥、又は、此身の不倖《ふしあわせ》のがれ方なく、たゞ死なむとのみ思ひ入り侍りしを、かく止《とど》められまゐらせ候。この上は唯《ただ》尼とやならむ。巡礼とやならむ。何国《いずく》の御方か存じ参らせねど、此の上の御慈悲《おんなさけ》に、そのすべ教へて賜はれかしと、砂にひれ伏して声を忍ぶ体《てい》なり。
 虹汀聞き果てゝ打ち案ずる事|稍久《ややしばし》、やがて乙女を扶《たす》け起して云ひけるやう。よし/\吾に為《せ》ん術《すべ》あり。今はさばかり歎かせ給ふな。先《ま》づ其の絵巻物を披見して、御身《おんみ》の因果を明らめ参らせむと、六美女の手を曳《ひ》きて立ち去らむとする折しもあれ、松の陰より現はれ出でし半面鬼相の荒くれ武士、物をも云はず虹汀に斬りかゝる。虹汀、修禅の機鋒《きほう》を以て、身を転じて虚《くう》を斬らせ、咄嵯《とっさ》に大喝一下するに、彼《か》の武士白刃と共に空を泳いで走る事数歩、懸崖の突端より踏み外《はず》し、月光漫々たる海中に陥つて、水烟《すいえん》と共に消え失せぬ。
 かくて虹汀は六美女を伴ひて呉家に到り、家人と共に彼《か》の乳母の亡骸《なきがら》を取り収め、自ら法事|読経《どきょう》して固く他言を戒《いまし》めつ。さて仏間に入りて人を遠ざけ、本尊|弥勒仏《みろくぶつ》の体中より彼《か》の絵巻物を取り出《いだ》し、畏敬《いきょう》礼拝を遂《と》げつゝ披見するに、美人の五体の壊乱《えらん》、膿滌《のうでき》せる様、只管《ひたすら》に寒毛樹立《かんもうじゅりつ》するばかりなり。すなはち仏前に座定《ざじょう》して精魂を鎮《しず》め、三昧《さんまい》に入る事十日余り、延宝二年十一月|晦日《みそか》の暁の一点といふに、忽然《こつぜん》として眼《まなこ》を開きて曰《いわ》く、
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凡夫の妄執を晴らすは念仏に若《し》くは無し 南無阿弥陀《なむあみだ》 南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏/\
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 と声高らかに詠誦《えいじゅ》する事三|遍《べ
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