なる事を認めたるのみにて直ちにこれを嚥《の》み下すことは、あり得べき道理なり。夢中遊行中に、油、又は下水溝の汚水の如きものを口にして自らこれを知らず、翌朝に到りて異状の口臭を感じ、又は嚥下物《えんかぶつ》の不消化等に依る頭痛、嘔気等を訴えて家人に怪しまれ、仏壇、又は行燈《あんどん》の油の減少せる等の事実と、想像とが結び付けられたる結果、当該本人の首のみが脱出したるが如き疑いを受くることは、人智未開の往昔に於て、当然あり得べき事なりと考えらる。尚《なお》、このロクロ首、即ち夢中遊行の主人公が、平生あらゆる本能的自我的心理の発動を抑圧し、又は抑圧され勝《がち》なる妙齢の美人と人間の祖先たる下等動物中STEGOCEPHALIAを象徴したる三ツ眼の怪物との二種類によって代表されおり、且つ、長き舌を出して液体を舐むる[#「長き舌を出して液体を舐むる」に傍点]という動物的の挙動が、これに結び付けられおる諸点は心理遺伝学中、動物心理の遺伝発露に就て研究すべき好参考材料なれども、ここには煩《はん》を避けて冗説せざるべし。以上述ぶるところによって見る時は、呉一郎の覚醒後の口臭は、吸入、又は注射に用いられたる麻酔薬の影響によって起りたる嗅神経の異状、又は、使用せられたる薬剤の口中粘膜よりの再分泌等によって来《きた》れるものに非ず。同夜、何等かの水に非ざる液体(例えば香水、化粧水、又はクリーニング用の揮発油の如きもの)等を口にしたる証左にして、その他の病的現象の大部分も、該液体の作用と認むるを自然に近きものと思惟さる。然れども、この点に関する諸般の調査が、全然閑却されあるは、止むを得ざる事とはいえ、千秋の遺憾と云うべし。
(ロ)悪夢[#「悪夢」に傍点] 又呉一郎が、事件当夜一時五分前後に覚醒し、次いで就寝したる以後に連続して見たりと信じおれる悪夢は、実は第二回の覚醒以前の僅少時間に見たるものが記憶に止まりたるものなる事、普通の夢と同様にして、夢中遊行の内容とは直接の関係を有せず。却って夢中遊行中に口にせし、何者かの影響なるべき事は前段の説明によって明かなるべし。
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【八】 夢中遊行の行われたる時間、その他
如上述べ来れる理由に依り、この事件を考察する時は、呉一郎の当夜の発作は、第一回と、第二回の覚醒の間に於て行われたるものと推定するを得べく、被害者の絶命時間が、二時――三時の間とすれば、呉一郎は第二次の就寝後三十分乃至一時間の後《のち》に、かかる夢中遊行状態の起り得べき、最深度の熟睡に陥りたるものなる事を察し得べし。而して、第二回の払暁時《ふつぎょうじ》の覚醒は、平生の覚醒時に於ける習慣的の潜在意識の発露と見るを得べく、その後の睡眠に於て、呉一郎は初めて夢中遊行の余波、もしくは夢中遊行中の嚥下物《えんかぶつ》に依って刺戟せられたる悪夢より離脱し、真の熟睡、休養に入りたる事を、その発汗現象によりても察知するを得べし。
【九】 夢中遊行に関する覚醒後の自覚、及び二重人格に関する考察
次に呉一郎が覚醒後、警察に於て、母殺しの嫌疑の下に訊問を受けし際、茫然自失しながらも「そんなら、自分が殺しておいて忘れているのじゃないかしら」というが如き、極めて軽微なる疑問が動きおりし事を告白せるは、一見、同人が自己の夢中遊行の幾分を記憶に止《とど》めおれる重大なる証左なるが如く思惟さるべし。すなわち第四項に略説せし通り、同人の当夜に於ける夢中遊行の事実は、同人の有意識的の記憶には存在せざる筈なれども、脳髄以外の細胞が作りし無意識的記憶の中《うち》の或るもの……たとえば当時の甚しき疲労感等が、警部の訊問の暗示力によって意識裡に浮み出でしものに非《あら》ざるなきやも疑い得べし。然れども、これを他の一面より見る時は、気質の純真と、良心の澄明とが反映したる、極めて明敏なる頭脳の所有者にして且つ、小説類の愛好者たる呉一郎が、かかる局面に立ちたる結果起したる、この種の頭脳特有の錯覚に非ざるなきやを保し難し。随《したが》って、這般《しゃはん》の疑問は、呉一郎の夢中遊行の存在を的確に立証し得るものに非ず。唯、一箇の補遺的参考としてここに掲ぐるを得るのみ。
尚《なお》、以上述ぶるところに依って、古来、夢中遊行病者が一種の二重人格の所有者なるが如く思惟せられおる事が、真に近き理由をも理解するを得べし。すなわち、祖先代々より遺伝し来りたる無量の記憶と、その血統中に包含されたる各人種、各家系、各個性等の無数の性能の統一体たる一個の人間の性格のうち、その一部が覚醒中に分離してあらわれたるものが所謂二重人格にして、同じく睡眠中に発露されたるものが夢中遊行症なり。而《しか》してかかる夢遊病者の素質が、遺伝性を帯びおるものなるは無論なるを以て、夢遊病者が夢中遊行中に行いし犯罪に対する責任は、夢遊病者本人が負うべき場合甚だ些《すく》なく、これを遺伝せしめたる祖先及びその時代の社会等が、負うべき場合多き事を、この事件に対する法律的考察の参考として附記しおくべし。
【十】 呉家の血統に関する謎語
劈頭《へきとう》に掲げし四項の談話中、右に摘出したる以外にも亦《また》、呉一郎の心理に、かかる夢中遊行を発作し得べき遺伝的の或るもの[#「或るもの」に傍点]が存在せる事を暗示せる個所|尠《すくな》からざるが如し。即ち左の如し。
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=呉一郎の談話中= 同人母千世子は、女性にしては珍らしき明晰なる頭脳を有し、且つ、気強き性格の持ち主なる事が説明されおり、且つ、迷信家に非《あら》ざる旨を弁護しあるにも拘らず、母子二人の宿命、もしくは運命に関しては、極めて平凡、且つ愚昧に属する迷信を極度に固執しおれる事実より推して、同女の心理に何等か不可抗的の憂悶不安の、不断に存在せるに非ざるなきやを疑い得る事。
=同= 狸穴の先生[#「狸穴の先生」に傍点]と呼ばるる占断者《うらないしゃ》の言に「お前達は、何者かに咀《のろ》われている」とあるは、同占断者が、同女との対話中に、同女の言葉の中に含まれたる或る事実を推測して、斯《か》く云いたるに非ずやと疑わるる事。
=八代子の談話中= 直方《のうがた》署の留置場に於て、初めて呉一郎に面会したる際「お前は何か夢を見ていやしなかったか」と尋ねしは「嘗《かつ》て夢遊病の事を耳にせしためなり」云々と弁明せるが、一婦人、特に農家の一主婦としての教養以外に、何等の高等なる学識を有せざるべき筈の八代子が、此《かく》の如き非常事件に際し、かかる超常識的に高等なる、精神科学的現象の存在の、可能なる事を考え得るさえも、不可思議というべきに、更にこれを実地に当て嵌《は》めて、直ちに事件の裡面の真相を穿《うが》たんと試みたるが如きは、真に驚くべき事実にして、仮令《たとい》同婦人が如何に慧敏《けいびん》、且つ果敢なる判断力を有するものと見るも、尚且つ、不自然の感を免れず。但し、同婦人が常に、何等かの痛切なる事情に迫られて、かかる問題を念頭にかけおり、此《かく》の如き事実に関する風説又は説明等に就て、鋭き注意を傾注しおりたるものとすれば、かかる際、かかる質問を発するは強《あなが》ちに不自然と云い得べからざること。
=同= 同婦人は、姪《めい》の浜《はま》なる実家に、近き親戚の尠《すくな》き旨を洩らせるが、田舎の富家には往々にして此の如く血縁的に孤立せる家系あり。而して、その孤立の原因は多くの場合、その家柄もしくはその血統に絡まる伝統的の悪風評もしくは、或る忌《い》むべき遺伝的の素質あるがために、附近の者が姻戚関係を結ぶを好まざる結果なるを以て、呉家も、或はその種の家柄に非ずやと疑わるる事。
=同= 妹千世子が家出の原因は刺繍と絵画の修業を目的とせるものに外《ほか》ならざる旨、繰返して弁明せるも、前項の疑点と照合する時は、尚、別の意味をも含まれいるものの如し。すなわち千世子は、姉と共に同家に居りては、到底結婚の不可能なるべきを予感し、又は他国に於て、呉家の血統を繋《つな》ぎ残すべく、姉との黙契の下に家出したるものにして、これあるがために、その行衛《ゆくえ》捜索に対する姉の態度は、稍々《やや》不熱心の嫌《きらい》なきに非ざりしやの疑を存する余地あり。且つ、同姉妹が二人共、女性としては珍らしき気嵩《きがさ》なる性格の所有者なる事実よりこれを推せば、両人の間にかかる黙契の成立し得べき事は想像に難《かた》からざる事。
=松村マツ子女史の談話中= 「千世子が有名なる男喰いなりとの噂」云々の事実と、前記の疑問とを綜合する時は、此《かく》の如き事情を負うて家出せる同女の、その後の行動の一斑を窺《うかが》うに足るべき事。
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如上の各項の疑点を通じて、姪の浜の呉家に伝統的の、しかも、極めて恐怖すべき或るもの[#「或るもの」に傍点]が存在せる事、及び同家の最後の血統を有せる八代子と千世子の姉妹が、この事を熟知しおるらしき事は、この事件の当初より既に、充分に暗示しありたるものと見るを得べし。
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【十一】 残るところは、この事件に於ける呉一郎の夢中遊行の発作が「如何なる種類の心理遺伝の[#「如何なる種類の心理遺伝の」に傍点]、如何なる程度の発露に依りて行われたるものなりや[#「如何なる程度の発露に依りて行われたるものなりや」に傍点]」という問題なり
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即ち這般《しゃはん》の第一回の発作は、その夢中遊行の直接誘因とも見るべき有形的の暗示[#「暗示」に傍点]が「一女性の寝顔の美」という簡単なるものに過ぎず、且つその刺戟が、異性的魅惑力の最も薄弱なる母親によって与えられたるものなりしため、呉家の固有に属する驚異的の心理遺伝に対する暗示の度も亦《また》、甚だ浅かりしものと察せらる。従って、その夢中遊行の内容も、同家固有の心理遺伝の内容(後段参照)と合致せるは唯「絞首」の一事あるのみ。爾余《じよ》はその屍体、及びその容貌の暗示より来れる脱線的の夢中遊行に移りて、それ以上の心理遺伝の内容を示さざりしものと思惟《しい》し得べし。
而《しか》して、前記諸項に関する一切の根本的の疑問に対する解決と説明は、この直方事件の発生後、約二箇年目に現われたる左記、第二回の発作に現われたる諸般の事情に依って、徹底的に明らかにするを得べし。
第二回の発作
◆第一参考[#「第一参考」は太字] 戸倉仙五郎の談話
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▼聴取日時[#「聴取日時」は太字] 大正十五年四月二十六日(所謂《いわゆる》、姪之浜《めいのはま》の花嫁殺し事件発生当日)午後一時頃――
▼聴取場所[#「聴取場所」は太字] 福岡県早良郡姪之浜町二四二七番地、同人自宅に於て――
▼同席者[#「同席者」は太字] 戸倉仙五郎(呉八代子方|常雇《じょうやとい》農夫、当時五十五歳)――同人妻子数名――余《よ》(W氏)――以上――
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【注意】 甚しき方言なるを以て標準語に近づけて記載す。
――ええもう、このような恐ろしい事は御座いませなんだ。その時に梯子《はしご》のテッペンから落ちて打ちました腰が、この通り痛みまして、小用《こよう》にも這《は》うて参ります位で、すんでの事に生命喪《いのちうしな》いをするところで御座いました。しかし、今朝《けさ》程から茄子《なすび》の黒焼を酒で飲みまして、御覧の通り、妙薬の鮒《ふな》を潰して貼っておりますけに、おかげで余程痛みが寛《くつろ》いだようで御座います。
――呉様のお家は、千俵余米と申しまして、この界隈でも一といわれる名うての大百姓で御座います。そのほか、養蚕《かいこ》から、養鶏《にわとり》から何から何まで、今の後家さんのお八代さんが、たった一人で算盤《そろばん》を弾《はじ》かっしゃるので、身代《しんだい》は太るばかり……何十万か、何百万かわからぬと申しますが、豪《えら》いもので御座います。学校も自分で建
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