、更に、ここに変態性慾的内容を有する夢中遊行を添加したる形跡の明らかなるものあるは特に珍重頑味すべきところなり。即ち呉一郎は、自己の血統に伝われる、独特固有の、変態性慾的「心理遺伝」の夢中遊行発作(後段第二回の発作参照)に依って、まずその夢幻の相手たる異性を絞殺して第一段の満足を得、然る後《のち》、その屍体の暗示により、前述の如き一般的なる夢遊状態……屍体飜弄に移りたるものなる事を、察するに難《かた》からざるべく……屍体の甚だしく煩悶|輾転《てんてん》せる痕跡、云々と認められしは、その飜弄の痕跡と混同しおる疑あり、或は被害者の苦悶に属するものは、その中の極めて小なる一部分なりしやも計り難し。同時に、その屍体飜弄が一種の変態性慾的の快適を求むる特殊の深刻味を含めるものなりし事は、その飜弄が転々飽くところを知らず、窮極するところついに、変態性慾中に於ても最高度の変態(次項参照)に到達したるを見て察知すべし。
【六】 屍体飜弄に引続く第三段の夢中遊行……
自己虐殺の幻覚と自己の屍体幻視……
「自己虐殺の幻覚[#「自己虐殺の幻覚」に傍点]」及《および》「自己の屍体幻視[#「自己の屍体幻視」に傍点]」と称する変態心理は、夢中遊行に非ざる一般の場合に於ても、特異中の特異例に属すべきものなるを以て、その斯《かく》の如き変態にまで陥り来りたる心理経過を一々説述し来るは容易の業《わざ》に非ず。然れども当座の参考のためにこれを要約して説明すれば、元来性慾もしくは恋愛なるものは、自己以外の異性に恋着する心理を指すものなれども、これをその本源に溯《さかのぼ》りて考察する時は、如何に没我的なる恋愛、もしくは性慾の発露なりと雖《いえど》も、畢竟《ひっきょう》するところ、自己の生ける霊肉の要求を愛惜し尊重する本能的主義的、もしくは利己的心理の表現に外ならず、故に、その性慾もしくは恋愛が、体質、性格及び境遇等に影響されて常住不断に飽く能《あた》わず……又は飽く方法を知らず……又は飽く事を知らざる(これと正反対なる性慾|耄衰《ぼうすい》の場合にも略《ほぼ》同一の結果に達すれどもここには省略す)場合は、その欲求が極度に高潮尖鋭化し、深刻痛烈化し来る結果、遂《つい》に尋常の手段にては満足を得る能《あた》わず、窮極するところ遂《つい》に変態性慾の境界に脱線し去りて尚《なお》飽き足らず、更に窮極の極、その心理の本源に逆転し来りて、自己を恋着、愛惜する心理に陥り来るべきは必然の帰結なり。
すなわちまず、これを積極方面より例示せむか。飽く事なき異性の愛撫慾が極度に高潮辛辣化すれば平凡なる性交の満足に倦《う》みて、異性の虐待[#「異性の虐待」に傍点]、乃至《ないし》、虐殺の快適味愛好[#「虐殺の快適味愛好」に傍点](サジスムス)又は屍好[#「屍好」に傍点](ネクロヒリ)となり、更に進んで異性の肉体覗見[#「異性の肉体覗見」に傍点]、異性の形状愛好[#「異性の形状愛好」に傍点](ビクマリオニスムス)、異性の附属物歎美[#「異性の附属物歎美」に傍点](フェチシスムス)等の順序を以て漸次、異性より直接に受くる刺戟、もしくは感覚より背《そむ》き遠ざかりつつ、却って深刻味ある快美感を受け得るに到るべく、而《しか》も尚、それ以上の異端、もしくは猟奇的深刻味を求めて止まざる結果は、遂《つい》に人間本来の自己愛惜の本能に吸引せられて自己恋着[#「自己恋着」に傍点]に陥り来るに到るべし。
又、これを消極方面より観察する時は、被愛撫的満足の飽く事なき願望が超自然的に高潮すれば被虐待の要望(マゾヒスムス)となり、一転して異性の汚物愛好(コプロラグニー)に進み、異性よりの侮蔑冷視[#「異性よりの侮蔑冷視」に傍点]、嘲笑嫌忌の甘受慾[#「嘲笑嫌忌の甘受慾」に傍点](エキシビステンその他)等の経過を見て結局、前者と同様の結末に陥り来るべきは自然の帰趨《きすう》なり。所謂《いわゆる》|NARZISSMUS《ナルジスムス》(自己恋着)はこれにして、筆者の所謂積極消極両様の変態恋愛の交叉帰一点そのものの発露と見るを得べし。
しかもこの「自己恋着」と名づくるものの中にも亦、積極消極、両極端の合一せる変態あり。すなわち自己に対する極度の愛撫、粉飾等は進んで自己の虐待、自己の一部露出、もしくは覗見《しけん》等の変態趣味に移り、一転して自己の軽視、冷遇、嘲笑、嫌忌もしくは自己恐怖等の心理を感ずるに到り、更に進んで自己虐殺の快適[#「自己虐殺の快適」に傍点]、もしくは自己の屍体幻視の快美感耽溺者[#「自己の屍体幻視の快美感耽溺者」に傍点]となり来るものなり。事実、この種の心理の実例は極めて広汎|多端《たたん》、且つ普遍的の性質を有しおるものにして、往昔の切腹、義死、憤死等の心理又は、普通の自殺者の遺書等の中に発見さるる夢の如き「自己歎美」又は、甘美なる涙を含む「自己陶酔」の心理の裏面にはこの種の変態心理の多少を認め得ざる事なく、殊に失恋自殺者の心理にして、この種の変態的欲求に最後の、且つ、唯一最高の満足を求めおらざるもの一人も無しと断言するも敢《あえ》て過言に非《あら》ず。その他、この種の心理の発露の特異なるものに到っては、自己の名前、肖像等の抹殺破棄……鏡面の理由なき破壊……模擬戦、又は劇等に於ける傷者、死者等の役廻り志願……各種の芸術作品中、自己に擬《ぎ》せる人物に対する作者の残忍なる描写……等の軽度なるものより、遺書なき自殺……他人もしくは公衆の面前に於ける自殺……自己及び環境を美化粉飾したる自殺……同情の情死……同性同胞の情死……自殺|倶楽部《クラブ》の存在……等、その欲求の変幻、その発露の怪奇、殆ど端倪《たんげい》すべからざるものあり。その他、人類生活の日常到るところの起臥《きが》談笑の間に於ても、本来自然の自己愛着心と不即不離の関係を保ちつつ、知不知、不言不語の裡《うち》にこの種の変態心理が流露反映しつつあるものなるを以て一々枚挙に遑《いとま》あらず、故に、ここには唯、斯の如き極端なる変態心理がその研究価値の頗《すこぶ》る高度、非常なるものあるにも拘らず、その発露する事例は決して稀有珍奇なるものに非ず、他の中間的なる変態性慾よりも却って普遍的なる傾向を有しおるものにして、相当の自省力を有する人士は常に、自己の心理生活の到るところにこの種の変態心理を発見し得べき事を証するに止むべし。
以上述ぶるところに依って、この事件の示す特徴を研究考察するに、呉一郎は、その夢中遊行の第一段たる絞首行為の前後に於て、その被害者の風貌が自己に酷似せる事を認めたるべきは推測に難《かた》からざるべし。而《しか》して同時にその夢中遊行の本源たる深刻痛切なる性慾の衝動が、その夢遊行動に依て解除さるるを得ざるがために、飽く事なき飜弄を続行中にも、幾回となく、その屍体の風貌の自己に彷彿《ほうふつ》たるものあるを認めしに相違なかるべく、その結果、おのずから自己虐殺の錯覚、幻覚に誘致され、屍体を自己に擬《ぎ》し、数回に亘りてこれを絞首したるものと認むるは、決して不自然なる推測に非《あら》ざるべし。かくして最後に、自己の屍体幻視の夢遊に移り、自己に擬したる被害者の屍体を階上の手摺《てすり》より吊り下し、相対《あいたい》する階段附近よりこれを正視して歓興したるものと察するを得《う》べく、此《かく》の如く観察し来る時は、被害者が二重三重に絞首されし後《のち》、縊死に擬せられたる等の、本事件の最重要なる各種の特徴は極めて自然に、且つ明白に説明され得るを見るべし。本事件の検案調査が、かかる諸点に留意されず、尋常一般の犯罪と同一視されたる結果、この方面に関する指紋、足跡等の事跡が大略看過されたる傾向あり。ために、かかる珍奇なる夢中遊行特有の怪奇なる行動の詳細に亘りて推測する能《あた》わざるものあるは復《また》やむを得ざる遺憾事と言うべし。
因《ちな》みに、呉一郎の夢中遊行の発作をここまで支持し来りし性慾衝動の最高潮状態は、この自己の屍体幻視を終極的として、解除されたるものと推測し得べき理由あり。爾後《じご》の呉一郎の行動は、この夢中遊行症の余波ともいうべき夢中遊行にして、筆者の所謂《いわゆる》、蹌踉状態[#「蹌踉状態」に傍点]に陥りたるものと認むるを得べし。然れども、その蹌踉《そうろう》状態の下に行われたる夢遊行動中にも亦《また》、本事件の表面上に現われたる、重要なる疑問的特徴を作りしものあるを推測され得るを以て、特に項を改めて記述すべし。
【七】 呉一郎の悪夢、口臭、その他が表わす夢中遊行症の特徴
呉一郎が悪夢を見たりという事実と、覚醒後の頭痛、眩暈《げんうん》、悪寒、口臭、嘔気《おうき》等を感じたる事実等を綜合して、麻酔剤の使用を疑われたる事は一面の理由あるものの如し。然れども、これを精神科学的の見地より観察する時は、これ亦《また》、現代の科学知識の発達程度に照して、誠に止むを得ざるに出でたる錯誤と評するを得べし。すなわち、畢竟《ひっきょう》するところ右は、夢、及《および》、夢中遊行なるものの真相の学理的に闡明《せんめい》され、且つ、常識的に理解されおる程度が、甚だ浅薄低級なる結果にして、下記二段の説明を以てこれを判断する時は、右の諸現象が麻酔剤の使用に依って起りしものに非《あら》ず、却って夢遊病の併発症状ともいうべき諸特徴を最も顕著に示しおる事を認め得べし。
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(イ)口臭[#「口臭」に傍点]、その他と轆轤首の怪談[#「その他と轆轤首の怪談」に傍点] 呉一郎が覚醒後に感じたりという頭痛、嘔気、疲労等は前述の如く、皆夢遊病の特徴として起り易き併発症状なれども、就中《なかんずく》、特に興味ある観察材料としてここに掲げむと欲するものは……口中に不快なる臭気を感じたり……という当該本人の陳述なり。而《しか》して此《かく》の如き夢遊病者の口臭その他に関しては他日稿を改めて「妖怪論」中に詳論すべきも、その腹案の一部をここに披瀝すれば、一般に或る夢遊病者が、或る発作を遂行し終るまでは、その夢中遊行の本源たる各種の内的衝動に駆られて、何等の疲労をも自覚せざるのみならず普通人の想像を超越したる精力と忍耐力を続行し得たる事例、亦、尠《すくな》しとせず。然れども、その発作の最高潮時、もしくは発作の主要部分を経過したる後《のち》は、精神の弛緩《しかん》と共に異常なる疲労を感じ、且つ、甚しき渇《かつ》を覚ゆるは生理上当然の帰結なり。(苦悶、呻吟等の軽き夢中遊行を伴いたる悪夢等の覚醒後に於ても亦然り)而してこの道理を根拠としてこの事件と比較研究さるべき絶好の参考材料は、日本の巷間《こうかん》に伝うる轆轤首(ロクロクビ)もしくは抜け首と称せらるる怪談なり。
ロクロ首の怪談、又は絵画が、人間の夢、又は夢中遊行の心理を象徴せるものなる事は、ここに更《あらた》めて呶々《どど》するを要せざるべし。而して同時に、このロクロ首が、油、又は下水その他の不浄の水を舐《な》める習癖あるがため、翌朝に到りて口中に悪臭を感ずるものなる事は、この種の怪談、又は絵画等に依って説明され来りたるところにして、一見、荒唐無稽の空説なるが如く見ゆるも決して左《さ》に非ず。すなわち、この怪談に於て、単にその首だけが脱出|蜿蜒《えんえん》して、何ものかを舐めたるが如く推断されたるは、夢、もしくは、夢中遊行の真相を識《し》らざるがために附会《ふかい》したる一個の想像にして、実は本人が夢中遊行中、生理上当然の欲求に駆られて、何等かの液体を渇望しつつ探し廻り、且つ、これを口にしたる結果に外ならず。しかも右は、必ずや、発作の最高潮を経過したる後《のち》に起るべき欲求にして、単に甚しき渇《かつ》の刺戟に依って辛《かろ》うじて夢中遊行を続行しおるが如き状態なるべきを以て、意識の明瞭度は著しく減退しおり、且つ捜索探求の能力等も著しく薄弱となりおれる筈なり。従ってその液体の何たるかを問わず、単に水に似たるもの、もしくは、それが何等かの液体
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