点]、覚醒時に於て不意に大音響に打たれたる心理の急変化とが酷似[#「覚醒時に於て不意に大音響に打たれたる心理の急変化とが酷似」に傍点]せるがために、逆に錯覚されて一ツの音響と感ぜられたるものなる事を知るを得べし。
更に右の事例に照して、この事件を考察する時は、呉一郎の第一回の覚醒なるものは、その直前に於て、同人の心理に高潮充満しおりたる、性的の衝動に依って描かれつつありし或る種の夢の進行が、これに依って刺戟喚起されたる良心的の衝動を象徴する或る幻像の出現と不可抗的に交叉衝突したる刹那の恐怖的心理状態が、音響的の錯覚を与えたるものに非ずやとも考えらる。而《しか》して、この仮定を認むる時は、その性的衝動の危機の裡《うち》に眼覚めたる呉一郎が、その母の寝顔を見て、異常の美を感じたりという事実は、極めて自然なる心理の帰趨《きすう》にして、特に、春季に於ける年少の童貞に有り勝ちの秘密的、心的経験に関する、純潔、偽らざる告白というを得べく、同時にその後の熟睡中に於て、同じ衝動によって刺戟誘発されたる夢中遊行の存在し得べき可能性は、一層、底強く裏書きせられ得るものと云うべし。
尚又、支棒《つっかいぼう》が落ちたる事実は、本人が夢中遊行中の無意識的理智の発動に依って行いたる犯罪の隠蔽手段に非ざるなき乎《か》。兇行その他の不正行為を敢てする事多き夢中遊行者が、かかる行為を併せ行う例は、甚だ珍らしからず。しかも、その大部分は、この事例に於けるが如く、常に笑うべき浅薄なる手段なるに照しても、這般《しゃはん》の疑問が不自然に非ざるを知り得べし。又、或《あるい》は、外より何者かが入り来らむとしたる際、誤って支棒を落し、様子を覗いおるうち、呉一郎が降り来りたるを以て逃亡したる等の、偶然の事跡の暗合せるものに非ずやとも考え得べし。然れども這般の疑点に就《つ》[#ルビの「つ」は底本では「つい」]いては調査が欠如しおるが如くなるを以て姑《しばら》く疑問として保留しおくべし。
【四】 夢遊状態発作当初の行動……絞殺……
この事件の根本的説明となるべき兇行の目的が、今日に到るまで茫乎《ぼうこ》として、推理の範囲外にある事実と同時に「つくし女塾内には呉一郎|母子《おやこ》と、女塾生に関する以外の事跡を認めず」云々というW氏の調査諸項を併せ考うる時は、この事件の真相が呉一郎のその母に対する夢中遊行の発作なる事を、最も簡単、且つ適切に首肯し得ると同時に、その他の犯人に関する推断が、強いて第三者を仮想せむと試みたるより生じたる一種の錯覚なる事をも、遺憾なく説明し得べし。すなわち呉一郎は前記の性的衝動を心理に包みて熟睡後、これに依りて刺戟誘発されたる心理遺伝の発作のために夢中遊行状態となりて起き上り、その意識裡に現われたる夢幻(その内容はこの時まで不明)の欲求に従って、眼に当りたる被害者の帯締めを拾い取りて、その夢幻の対象たる一女性……実は母親……に対する兇行を遂げ、尚《なお》後《のち》に述ぶるが如く学術上の珍とすべき奇怪なる夢中遊行の若干を続行したる後《のち》、就寝したるものと推測さる。而して右の兇行は、同人の脳髄の作用、即ち意識的精神作用が熟睡に依《よっ》て休止しおる間に於て、全身の細胞相互間の反射交感作用が、脳髄の代用となりて(主として交感、迷走神経と連絡せる内臓の諸機関がこの役をつとめ、筋肉、結締組織、脂肪、血液等もこれに参加して、事後に於ける異常の疲労状態を呈す――拙著『精神病理学』参照)五官と直接に連絡し、見、聞き、判断し、且つ実行せるものなるを以て、覚醒後の有我的意識には、殆ど何等の記憶の痕跡を留めず、この点を混同して、一切の判断力を要する行動を、有我的意識(脳髄の覚醒時に於ける意識作用)に依ってのみ行われ得るものと妄信せられたるがために、前記の如く、仮想の犯人を拈出《せんしゅつ》するが如き、推断上の錯誤を生じたるものにして、現代に於ける科学知識の発達程度に於ては、誠に止むを得ざるに出でたる帰結と云うを得べし。
因《ちな》みに、この事件に依って研究さるべき呉一郎の夢中遊行状態中、第二回の発作(後段参照)に依て演出さるべき、この事件の眼目たる心理遺伝の内容と直接の連絡関係を有せる発作は、この……絞首[#「絞首」に傍点]……の一事のみにして、爾後《じご》の夢中遊行は寧ろ脱線的のものと云うを得べし。然れども、その爾後の脱線的夢中遊行なるものの正体は、実に学界の珍とも称すべきものにして、精神科学上の研究価値甚だ高く、且つ此《かく》の如く親近なる参考事例を他に発見し得ざるを以て、聊《いささ》か脱線を共にするの嫌《きらい》あれども特にここに記述し、併せてこの事件の真相が、呉一郎の夢中遊行発作によって一貫せられおる事実を、徹底的に明白ならしめんと欲する所以《ゆえん》なり。
【五】 絞首に引続く第二段の夢中遊行……屍体飜弄……
被害者が、床上その他を輾転《てんてん》して苦悶したる痕跡及び絞殺の跡《あと》顕著なるにも拘《かかわ》らず、更にこれを縊死と見せかけたるは浅薄なる犯罪隠蔽行為なるが如くにして実は然らず……云々として、犯人たる仮想の第三者の智力の尋常ならざるを疑われたるは、一面の理由ある判断なるが如くなるも、これ亦、余りに穿《うが》ち過ぎたる不自然の観察なりと信ずるに躊躇せず。何となれば右の事象は又、偶々《たまたま》以て夢中遊行状態特有の怪異なる行動が当夜、同所に於て行われたる事跡を物語るものにして、著者の所謂《いわゆる》……屍体飜弄[#「屍体飜弄」に傍点]……が当夜の呉一郎に依って演ぜられたるものと認めて些《いささか》の不自然を感ぜざるのみならず、却《かえ》って右の事象に対する説明の簡単適切、疑うべからざるものあるを以てなり。
但し夢中遊行中の屍体飜弄[#「夢中遊行中の屍体飜弄」に傍点]なる現象に関しては古来、明確なる記録の憑拠《ひょうきょ》するに足るべきもの殆ど存在せず。唯、かかる超唯物科学的なる現象に対して深き興味を有する拉甸《ラテン》人種間に伝われる記録及び迷信深き東洋諸民族間に残存せる伝説等に散見するあるのみ。而してその記録なるものも所謂、実見記等の類に非《あら》ず。或る特異の頭脳を有する僧侶、医師等が他人より聞知し、又は探聞し得たる事を記載せる随筆程度のものに過ぎざるのみならず、その記事の十中八九は屍体を使用して人を脅威し、電力を与えて死者を動かし試み、死人を装《よそお》うて悪事を働らく等、その他、迷信的の薬物たる臓器の獲得、埋葬品の奪掠《だつりゃく》、屍姦《しかん》等の事跡の誤認、誤伝せられたるものなるを以て、容易に真相を捕捉し難き憾《うら》みあり。
然れども斯《か》かる屍体飜弄[#「屍体飜弄」に傍点]の事実の古来より存在せる事は疑《うたがい》を容れず。即ち支那、印度《インド》、日本等に於て屍神《ししん》、屍鬼《しき》、もしくは火車《かしゃ》等と称する妖異|譚《ものがたり》の内容を検する時は、この種の夢遊行為……すなわち屍体飜弄が誤伝せられたるものなる事を、自然科学、精神科学等の各方面より推知するを得べし。
而して斯《かか》る事実の詳細に関しては他日「妖怪篇」なる一篇に集積して研究論証すべく、目下材料の整理中に属すれども、その一班を摘要すれば、元来この屍神、屍鬼、もしくは火車等と称する妖異現象は、狐猫《こびょう》の類族、又は鴉《からす》、梟《ふくろう》等の怪禽妖獣の族の所業なるが如く信ぜられおる傾向あり。然れども事実は左《さ》に非《あら》ず。すなわちそれ等の伝説記録等に拠って、屍体飜弄の状況を按見《あんけん》するに、まず劈頭《へきとう》に、棺柩《かんきゅう》中、もしくは床上に静臥安居しおりたる屍体が忽然《こつぜん》として立上り、虚空を走るという形容あり。続いて眼を閉じ、毛髪と両手とを力無く垂下したる亡者が、或は逆立《さかだち》し、或は飜筋斗返《とんぼがえ》りし、斜立《しゃりつ》したるまま静止し、又は行歩《こうほ》し、丸太転び、尺蠖歩《しゃくとりあゆ》み、宙釣り、逆釣《さかづ》り、錐揉《きりも》み、文廻《ぶんまわ》し廻転、逆反《さかぞ》り、仏倒《ほとけだお》し、うしろ返り、又は跳ね上り、飜落《ほんらく》するなぞ、恰《あたか》も何者かが手を加えて操縦せるが如くなる、あらゆる奇抜なる形状と運動とを描き現わすものとなせるが、尚よく冷静、仔細にこの形容を観察する時は、此《かく》の如き形状と運動とは、恰も彼《か》の無邪気なる小児が、人形、生物体、もしくは人像に類せる物体を飜弄して、あらゆる残忍なる姿勢動作を演ぜしめつつ、嬉戯《きぎ》満悦せる情態に酷似せるを看取し得べし。しかも当該小児は此の如き遊戯に際し、自ら手を加えて飜弄しつつある事実を殆ど忘れおり、さながらに人形が自己の意志を直感して、好むがままに変化躍動しつつあるかの如く錯覚しつつ、一種の残忍性を満足せしめおる心理は、吾人の日常随所に発見し得るところなり。而《しか》して此《かく》の如き生物、もしくは擬生物体飜弄の心理は、吾々人類の祖先が、その野蛮蒙昧時代に於て獲物、もしくは敵手を征服捕獲し、又は斃《たお》し得たる際の満悦と勝利感の高潮によって、恰《あたか》も現在の食肉禽獣、虫類間に遺伝残存しおるが如き獲物飜弄の高等なるものを行いたる習性が変形遺伝せしもの(敵手の首級を投げ上げ投げ上げ歓喜したる史実厳存す。且つ、かかる擬生物体飜弄の習性が主として男児に現われ易き事実に注意すべし――拙著、心理遺伝本論中、変型遺伝の部参照)なる事実と照合する時は、かかる心理遺伝が、斯《かく》の如き屍体飜弄の夢中遊行を誘起し得べき事、疑《うたがい》を容れざるべし。
次に、如上の考察を事実と照合して具体的に説明すれば、まず、或る瀕死の病人に最後迄附添いおりたる者、又は、屍体の始末をなしたる人間が睡眠後……特に介抱その他に依る身神《しんしん》の疲労又は一種の安心等のために平常よりも深き熟睡に陥りたる場合に於て、その屍体より受けたる深刻なる暗示のために、前記の如き残忍性を帯びたる夢遊心理を誘起され、未葬もしくは既葬の屍体を取り出して飜弄したりとせむか。自身は殆どその自ら手を下したる事実を記憶せざるべきは当然と見るを得べし。或は、半ば朦朧《もうろう》状態に於て意識せるものとするも、彼《か》の小児の人形飜弄の如く、自己が手を下したるものとは思惟《しい》せずして、屍体そのものの活躍なりと錯覚し、一種の悪夢の如きものと信じつつ屍体を飜弄して、どこへか遺棄し去り、又は棺桶等に投入返還したるまま、床に帰りて就寝したる者が、翌朝に到りて屍体の変位、紛失等を発見するや大いに驚き、妖異の所業《しわざ》と解釈して斯《か》かる伝説の由縁《ゆうえん》を作るべき事は疑を容れず、すなわちかかる伝説、口碑の殆ど全部が、屍体に側近する者の些《すく》なき貧家の不幸事、もしくは屍体一個、側近者一個を題材として伝えられおるを見ても、その妖異の主人公が屍体そのもの、もしくは他の獣鬼等に非《あら》ず、傍《かたわら》に眠りおりたる者の夢中遊行に依るものなる事を察するに足るべく、現今、行われおる多人数の通夜の習慣は、この種の妖異の防遏《ぼうあつ》に最も有効なる事が古来|幾多《いくた》の人々の経験に依って知、不知の間に確認せられおりし事を今日に立証しおるものと見るを得べし。又、死者の枕頭《ちんとう》に刃物を置く習慣は、その刃物の光鋩《こうぼう》、もしくは、その形状の凄味《すごみ》より来る視覚上の刺戟暗示を以て、この種の夢遊病者の幻覚を破るに有効なるものありしより起りし習慣に非ざるなき乎《か》。いずれにしても斯《かく》の如く観察し来る時は、この屍体飜弄なる夢遊状態の存在は疑う余地なきところにして、特に通夜の習慣及び火葬の流行以前には、屍体の側近者によりてかなり多数にこの種の夢遊状態が実現されおりし事は自明の理なるべし。
次に如上の研究考察をこの事件と照合するに、当夜に於ける呉一郎の女性絞殺行為後の夢中遊行症は殆ど右と同様のものなるべけれども
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