で、将来の探偵術や、法医学者の研究は、是非ともここまで突込んで来なければ嘘であるという確信を、正木先生はズット以前から持っておられるので御座います。
 そこでその正木先生の診断メモによって、この少年の骨相を解剖的に説明致しまして、引続き曝露致して参ります物凄い事件の特徴と、対照して頂く事に致しますと、どなたでも、第一に気付かれます事は、この少年の血色が、日本人としては白すぎる事で御座います。御覧の通り、頬にポーッと紅味《あかみ》がさしておりますのは、まだ童貞でいる証拠で御座いますから、除外するとしましても、その皮膚にあらわれた日本人独特の健康色の下《もと》を流るる透明な乳白色は、明らかに白皙《はくせき》人種の血が、この少年の血統に交《まじ》っている事を推定させますので……しかも……そうとしますれば余程以前に、少なくとも一千数百年以前に、天山《テンシャン》山脈を越えて支那地方に入り込んで来たもので、所謂《いわゆる》、胡人《こじん》と称せられているものの血が加わっていたものが、現代に於てこの少年の骨相上に復活したものではあるまいか……という事が、後《のち》に出て参りますこの少年の祖先に関する記録によって推測されるので御座います。
 次に、この少年の骨相の中《うち》で、純粋に蒙古人種系統を代表致しておりますのは、素直な、黒い髪毛の生え際と、鼻の中の内部の形だけであります。この少年の鼻の穴は、曲りが少のう御座いますので、器械で覗きますと一直線に奥までわかる……お笑いになってはいけません。これは遺伝学上から申しましても大切な調査なので、もし白人の系統を引いた鼻の穴だと、恐ろしく曲りくねっているので御座います。
 さて……以上の蒙古人系統の特徴を除外した、この少年の骨相をよくよく観察致しますと、そこにあらゆる異人種系統の寄り合所帯が発見されるので御座います。
 まず……大体の顔の形は拉甸《ラテン》系統のふくらみを持った卵型でありますが、眉と、睫毛《まつげ》が、絵筆で描いたように濃く長くて、眼の縁の隈がドコとなく青ずんで見えまするところは、何といってもアイヌ式であります。又、鼻の外見的な恰好は純然たる希臘《ギリシヤ》型で、頬から腮《あご》へかけての抛物線《パラボラ》と、小さな薄い唇が、ハッキリと波打っている恰好を見ますると、我国の古い仏像などに残っているアリアン系統の手法を聯想させますが……よく御覧下さい。こころもち薄い腮の中央《まんなか》に、北欧人種式の凹《くぼ》みがありますから……「頬の笑凹《えくぼ》がルビーなら腮の笑凹はダイヤモンド」と申しますアレで、男にはあまり必要のない美的要素で御座いますが……御覧の通り微笑を含みますと一層よく解るので御座いますが……。
 ところで斯様《かよう》に、一人一人の人間の骨相を調べましてから、その人間の特徴と照し合せてみますとまことによく一致いたします。その中でも一番よく一致いたしますのは性癖、その次は趣味、その次が才能という順序になっておりますようで……すなわちこの少年は、日本人式の順良さと、アイヌ式の尊崇心と、拉甸《ラテン》人種式の頭の良さとを同時に持っているので御座いますが、それが又……あの通りウットリとした瞬《まばたき》のし方でもお察し出来ます通りに、どことなく北欧人種式の隠遁的な、高雅な気風によって包まれておりますために、表面にパッと現われていないのであります。……つまり一口に申しますとこの少年は、どちらかといえば年齢の割合に落付《おちつい》た、物静かな性格と見るべきで御座いましょう。
 然るに、そのような表面的に冷静な性格が、一朝にして心理遺伝の暗示によって、撃破、顛覆《てんぷく》されてしまいますと、今まで内部に潜み流れておりました大陸民族式の、想像も及ばない執拗深刻、且《かつ》、兇暴残忍な血が、驀然《まっしぐら》に表面へ躍り出して、摩訶《まか》不思議な大活躍を演ずる事に相成ましたので、つまり只今から御紹介致します空前絶後的な怪事件の真相と申しますのは、要するにこの少年の鼻の穴の中に隠れておりました蒙古人種《モンゴリア》系統の心理遺伝が、一時に暴れ出したものと、お考え下されば宜しいので御座います。
 なお又、このほかに、この少年の骨相の中には、見逃してはならぬ大切なものが残っております。それは一面に極めて楽天的な、呑気なところがありながら、チョットした刺戟や、僅かな環境の変化にもすぐに感激昂奮して、あたり構わず笑ったり、泣いたり、怒ったりする……一口に申せば極めて気の変り易い、仏蘭西《フランス》人みたいな性格を象徴している、純|拉甸《ラテン》型の薄い腮を持っている事でありますが、しかし、この特徴も、この少年の平生の性格には、あまり現われていないようであります。やはり前に述べました極めて明晰な頭脳と、厭人《えんじん》的にハニカミ勝《がち》な性格に押え付けられているらしく思われるのであります。……とは申せ、随分と著しい特徴でありますから、この少年が解放治療場に参りましてから後《のち》の、長い長い心理遺伝の発作の途中、もしくはその回復期に於て、いつかはそうしたこの少年の腮の性格……感傷的な、もしくは激情的な気質が、あらわれるに違いないであろう事を、正木博士は楽しみにして待っておられた次第で御座います。
 ……以上述べましたところで、この呉一郎と申す少年の骨相は、あらかた、おわかりになった事と存じます。斯様《かよう》に色々な人種系統の特徴を、造化の神は如何にして、これ程まで端麗明朗に、且つ、純真美妙に取り合わせたかという事を考えますと、誠に気味が悪くなります位で……科学の権威とか、人智の進歩とかを一枚看板にしてオマンマを頂いております私共も、こうした生きた芸術の傑作に接しましては、唯、気を呑み、声を呑んで、頭を下るよりほかに致方《いたしかた》がないのであります。
 次にはこの少年の心理遺伝を中心とする事件の推移が、如何に奇々怪々なるプロットを以て正木博士の眼界に……オット違った。同博士が自分の頭蓋骨と名付くる「天然色、浮出し、発声映画撮影機の暗箱」に取付けている二つの眼球のレンズと、左右の耳朶《じだ》のマイクロフォンに、如何なる順序で、そうした事件の推移が印画されて来たかという事を、その順序通りに廻転して行くフィルムに就て説明して参ります。……【溶暗[#「溶暗」は太字]】

 【字幕[#「字幕」は太字]】 九州帝国大学、法医学教室、屍体《したい》解剖室内の奇怪事……大正十五年四月二十六日夜撮影――
 【説明[#「説明」は太字]】 あらわれましたる映画は御覧の通り隅から隅まで、どこがドコやら、何が何やらわかりませぬ。漆《うるし》のような闇黒《あんこく》な場面で御座います。従って説明の致しようもない訳で御座いますが、しかしよく御覧下さい。繻子《しゅす》か天鵞絨《びろうど》か、暗夜《やみよ》の鴉《からす》模様かと思われるほど真黒いスクリーンの左上の隅に、殆ど見えるか見えない位の仄青《ほのあお》い、蛍のような光りの群れが、不規則な環の形になって漂うているのが、お眼に止まりましょう。……あれは最近大流行を致しておりまする猫イラズで自殺を遂げた芸妓《げいしゃ》の胃袋の中のものが、硝子《ガラス》の皿の中から燐光を放っているので御座います。
 あれをお認めになりましたならば、賢明なる諸君は、もはやこの闇黒が、尋常一様の闇黒でない事を充分に御推察になった事と信じます。……すなわちこの闇黒は九州帝国大学、法医学教室の一隅に在る、屍体解剖室内の暗夜の状態を、すぐ横の階段下の物置から、天井裏へ潜り込んだ処に在る、板の隙間から窺《のぞ》いている光景で御座います。
 この天井裏の覗《のぞ》き穴は、よく出歯亀《でばかめ》心理に囚《とら》われた小使や、又は好奇心に駆られた新聞記者なぞがコッソリと屍体解剖を覗く処で御座いますが、よほど古くから在るものと見えまして、穴の内側の処が、爪やナイフでY字形に削《けず》り拡げられておりまして、すこし顔の向きを換えさえすれば、部屋の下半部の隅々までも手に取る如く見廻されます……のみならず、少々窮屈では御座いますが、物置の棚の上に足を伸ばしますると、三等列車に乗ったのよりもズット楽な気分で寝ている事が出来ますからまことに重宝で……件《くだん》の燐光を放っておる不浄な皿は、実は向側の隅の机の上に置いてあるので御座いますが、真上から見下して撮影致しておりますために、あのようにフィルムの上方に見えておるので御座います。
 なおこの室内に在りますものが、あの皿一つでない事は申すまでもありませぬ。しかも両側の窓の鎧戸《よろいど》や、入口の扉が、固く鎖《とざ》されておりまするために、この部屋の闇黒の度合は極めて深くなっておりますので、あの汚物の燐光が辛うじて認められます以外には、何一つ発見出来ませぬ。どこかでシイ――インと湯が湧いているような、死んだような静寂の裡に、正木博士撮影の「天然色、浮出し、発声映画」のフィルムはただ、漆のように黒く、時の流れのように秘《ひめ》やかに流れて行くばかり……五十尺……百尺……二百尺……三百尺…………。
 ……そもそも正木博士は、何の必要があってか、御苦労千万にも、その双耳、双眼式、天然色、浮出し、発声映画の撮影|暗箱《カメラ》を、この解剖室の天井裏まで担《かつ》ぎ上げたものであろう……如何なる目的の下に、斯様《かよう》な詰らない闇黒の場面を、いつまでもいつまでも辛棒強く凝視した……否、撮影し続けたものであろう……堂々たる大学教授の身分でありながら、斯様な鼠と同様の所業に憂身《うきみ》をやつすとは、何という醜体《しゅうたい》であろう……と諸君は定めし不審に思われるで御座いましょうが、この説明は後《のち》になってから自然とおわかりになる事と存じますから、ここには略さして頂きます。
 ……時は大正十五年四月二十六日の午後十時前後……呉一郎の心理遺伝を中心とする怪事件が勃発致しましてから約二十時間後の光景……フィルムは依然として真黒なまま、秘やかに辷《すべ》っております。五百尺……八百尺……一千尺……一千五百尺……画面の静けさと闇黒さとは以前の通りで、ただあの汚物の燐光が、次第に青白く、明瞭の度を加えて来るばかりであります。折りしもあれ、この教室を包む一棟の中《うち》の、遥かに遠くの小使室で打ち出す時計の音が、陰《いん》に籠《こも》って……一ツ……二ツ……三ツ……ボ――ン……ボ――ン……ボ――ン……ボ――ン……ボ――ンボ――ンボ――ンボ――ン…………ボオ――オオ――ンン……。
 ……十一時を打ち終りますと同時に、眼の前の闇黒の中で、何かしら分厚い、大きな木の箱を閉したような音がバッタリと致しますと、間もなくパアッと大光明がさして、眼も眩《くら》むほどギラギラと輝やくものが、そこいら中一面にユラメキ現われました。それは御覧の通り、部屋の中央に近く、四ツほど吊されております二百|燭光《しょっこう》の電球のスイッチが、最前からこの部屋の中に息を殺していたらしい人間の手で、次から次に捻《ひね》られたからで御座います……が、よく眼を止めて見ますと……。
 ……おお……その室内の光景の如何に物々しい事よ……。
 まず第一に視神経を吸い寄せられまするのは、部屋の中央を楕円形に区切って、気味の悪い野白色《のはくしょく》の光りを放っている解剖台で御座います。この解剖台は元来、美事な白大理石で出来ているので御座いますが、今日までにこの上で数知れず処分されました死人の血とか、脂肪とか、垢《あか》とかいうものが少しずつ少しずつ大理石の肌目《きめ》に浸み込んで、斯様な陰気な色に変化してしまったもので御座います。
 その解剖台上に投げ出された、黒い、凹字《おうじ》型の木枕に近く、映画面の左手に当ってギラギラと眼も眩《くら》むほど輝いておりますのは背の高い円筒形、ニッケル鍍金《メッキ》の湯沸器《シンメルブッシュ》で御座います。これは特別註文の品でも御座いましょうか、欧洲中世紀の巨大な寺院、もし
前へ 次へ
全94ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング