枯枝、竹片《たけぎれ》、瓦の破片なぞ……中にはどこで見付たものか、青い草なぞもあります。しかし何しろ相手の畠が、サラサラした白砂の畝《うね》で御座いますから、竹の棒なぞはウッカリすると倒れそうになるのを、御覧の通り色々と世話を焼いて真直に立てております。あんな面倒臭い事をせずとも、グッと砂の中に突込んだら良さそうなもの……と思われる方があるかも知れませぬが、それは失礼ながら素人考えで……この少女は瓦片《かわらぎれ》や竹の棒なぞを、やはり普通の草花か何かの苗だと信じ切っておりますので、決してそんな乱暴な扱いを致しませぬ。さも大切そうに根方《ねもと》に砂を被せておりまするところがねうち[#「ねうち」に傍点]で……しかし、それでも折角、世話してやった竹の棒が二三度も倒れますと……アレ、あの通り癇癪《かんしゃく》を起しまして、柔かい草の苗と同じように、竹の棒を何の苦もなく引千切《ひっちぎ》って棄ててしまいます。あの繊細《かよわ》い、細い腕から、どうしてあんな恐ろしい、男も及ばぬ力量《ちから》が出るかと、怪しまるるばかりで御座いますが、実は人間というものは、どんな優しい御婦人でも、大抵あれ位の力は持ておられますので……ただ……人間は、ほかの動物に比べて上品な、弱いもの……殊に女は……といったような暗示が、先祖代々から積み重なって来た結果、それだけの力を出し得ずにおりますので、それが精神に異状を来すか、地震、火事といったような一大事にぶつかるか致しますと、その暗示が一時的に破れまするために、本来の腕力に立帰りまする事が、現在、只今、この少女によって証拠立られているので御座います。毎度説明が脱線致しまして申訳《もうしわけ》ありませぬが、これは正木博士の「心理遺伝」を逆に証明する実例で御座いますから、特に申添えました次第で御座います。
その次にあらわしまするは、破れたモーニング・コートを着た毬栗《いがぐり》頭の小男で、今の老人と、青年と、少女の一群《ひとむれ》が居る処とは正反対側の、東側の赤煉瓦塀に向って演説をしているところで御座います。
「……達摩《だるま》は面壁九年にして、少林の熊耳《ゆうじ》と云われました。故に吾人は九年間面壁して弁論を練り、糊塗縦横《ことじゅうおう》の政界を打破りまして、あらゆる不平等を平面にすべく……来《きた》るべき普選の時代に於て……即ち、その……吾人が……」
と大声をあげるかと思うと、思い出したように右手を高くあげて左右に動かしております。
その背後を一人の奇妙な姿をした女が通って行きます。御覧の通り、まことに下品な、シャクレた顔をした中年増《ちゅうどしま》で、顔一面に塗り附《つけ》ております泥は、厚化粧のつもりだそうで御座います。着物の裾も露《あら》わな素跣足《すあし》で、ボロボロの丸帯を長々と引ずっておりますが、誰がこしらえてやりましたものか、ボール紙に赤インキを塗った王冠の形の物を、ザンバラの頭の上に載せて、落ちないようにあおのきつつジロリジロリと左右を睨《ね》めまわしながら女王気取りで、行きつ戻りつ致しておりますところはナカナカの奇観で御座います。
その女が前を横切る度毎《たびごと》に、桐の木の根方《ねもと》に土下座をして、あまたたび礼拝を捧げておりまする髯《ひげ》だらけの大男は、長崎の某小学校の校長で御座います。親代々の耶蘇《やそ》教信心が、この男に到って最高潮に達しました結果、この病院へ収容されますと、煉瓦や屋根瓦の破片に聖像を彫って、同室の患者たちに拝ませたり致しておりましたが、只今は又、彼《か》の女王気取の狂女を、マリヤ様の再来と信じまして、随喜、渇仰《かつごう》の涙を流しているところで御座います。
それから又、あの土下座している髯男の周囲《まわり》を跳まわっておりますお垂髪《さげ》の少女は、高等女学校の二年生で、元来、内気な、憂鬱な性格で御座いましたが、芸術方面に非常な才能をあらわしておりまするうちに、所謂《いわゆる》、早発性痴呆となったもので御座います。……ところが、その発病と同時に、今までの性格がガラリと一変致しましたもので、ここへ入院致しました当時、正木院長から名前を尋ねられた時にも「妾《あたし》は舞踏狂よ……アンナ・パブロワよ」と答えたという病院切っての愛嬌者で、いつも御覧の通り、自作の歌を唄いながら、踊りまわっているので御座います。
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「青《あ》アオい空《そ》オラを見イたら
白《し》イロい雲《く》ウモが高《た》アかく
黒《く》ウロい雲《く》ウモが低《ひ》イクく
仲《な》アカア良オくウ並《な》アらんで
フウラリフウラリ飛んで行《く》よ
フウララフウララフゥ――ララ……
あたいも一緒に並《な》アラんでエ
フウラリフウラリ歩《あ》るいたらア
赤《あ》アカい壁《か》アべにぶつかったア
フウララフウララフゥ――ララ……
フウララフウララフゥ――ララ……」
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又、こちらの方では四十位の職人風の男が二人、親密そうに肩を組んで、最前の年増女《としまおんな》と直角の方向に、行きつ戻りつしております。もっとも右側の男は東京見物、左側の一人は南極探検の意味で、斯様《かよう》に意気が投合して、大旅行を続けているのだそうですから、まことに世話が焼けません。それからこちらの入口の処に座っております肥ったお婆さんは、相当な身分の人らしい事が、その上品な着物の柄で推量出来ますが、しかし御本人は、そんなつもりではないらしく、いつもあのように貧民窟に住んでいるような恰好で、居りもせぬ虱《しらみ》を一所懸命に取っては潰し、抓《つま》んでは棄てております……かと思うとアレ……あの通り帯を解いて丸裸体《まるはだか》になりまして、大きな音を立てながら着物をハタキ初めますので、そのたんびに演説屋も、二人の職人も、女学生も、心理遺伝の発作を中止して、指さし、眼さし、腹を抱えております。
さて……以上、映写致しましたところの狂人たちの一挙一動を御覧になりました方々の中には、必ずや意外に思われた方が、おありになるに相違ないと存じます。
「……ナアンダイ……これあ。当り前の狂人じゃないか。何もこの解放治療場に限った事はない。どこの精神病院の散歩場に行っても、こんな光景が見られるじゃないか。狂人の解放治療場という位だから、眼もはるかな広《ひろ》っ場《ぱ》に、何百か何千かわからぬ狂人の群れが、ウジャウジャして、あらん限りの狂態を演じている光景が見られるのかと思っていたが、これじゃあチットモ張合がない。第一心理遺伝なんて、どこが心理遺伝なのかサッパリ解らないじゃないか」
……と……失望、落胆、軽蔑、冷笑される方がキットお在りになる事と存じますが、まあ、そう急がずにお待ち下さい。実を申しますと正木先生の御研究に係《かかわ》る、心理遺伝の実験に使う人物はこれだけで沢山なので、この中の二三人の狂態が、如何なる心理遺伝によって演出されつつあるものであるかを、映画に就て簡単に説明致しましただけでも、世界中のありとあらゆる精神異状の原因は残らずおわかりになろうという……申さばこの十人の精神病患者は地上千万無数の狂人の中から選み出された精神異状の代表的チャムピオン……もしくは正木博士の過去二十年間の御研究に係る心理遺伝の原理を、身を以て直接に証明すべく現われた、世界的の標本とも見られるので御座います。
その先頭第一に御紹介致しまするは、最前から赤煉瓦塀の横で畠を打っております、あの白髪頭《しらがあたま》の老人で御座います。
この老人は、名前を鉢巻儀作《はちまきぎさく》と申しますが、その五代前の祖先、すなわちこの儀作の曾々祖父に当ります者は、福岡の御城下、鳥飼《とりかい》村に居りました名高い豪農で、同名|儀十《ぎじゅう》と申す者で御座いました。その儀十という男は、生れ付き左利きで御座いましたが、仲々の体力と精力の持主で、自分一代のうちに鍬一本で、大|身代《しんだい》を作り上げて、御領主黒田の殿様から鉢巻という苗字と、帯刀を許されたという立志伝中の人物だそうで御座います。
ところで又、何が故にそのような奇妙な苗字を頂戴に及んだかと尋ねますると、この鉢巻と申しまするのは元来、この男の若い時分の綽名《あだな》で御座いました。つまり汗を拭う時間が惜しいというので、田畠の仕事を致します時には、いつも眉の上の処に、手拭《てぬぐい》で後鉢巻《うしろはちまき》を致しておりましたところから来た綽名だというので御座いますから、如何にその働らき振りが猛烈であったかが、おわかりになるでしょう。夜が明けてから暮れる迄の間に休むのはタッタ一度だけ……福岡、舞鶴城の天守の櫓《やぐら》で、午《うま》の刻……只今の正午のお太鼓がド――ンと聞えますと、すぐに鍬を放り出して、近くの堤《どて》か草原《くさばら》の木蔭か軒下《のきした》に行って弁当を使う。それから約|半刻《はんとき》……と申しますと只今の一時間で御座いますな。その間、午睡《ひるね》をしてから、ムックリ眼を醒ましますと又、日が落ちて、手元が見えなくなるまで休まないというのですから豪気なもので……多分この男も一種の偏執性性格といったような素質を持った人間で御座いましたろうか。その赤黒い額に残った白い、横一文字の鉢巻の痕跡《あと》が、息を引き取った後迄《のちまで》も消えなかった。殿様の前に出た時も同様で御座いましたので、お側に居った慌て者が「コレコレ鉢巻を取れ」と申しましたところから、殿様が大層、興がらせられて、斯様《かよう》な苗字を賜わったという、世にも名誉ある鉢巻で御座いました。
ところが、それから物変り星移りまして、その鉢巻儀右衛門から五代目に当るこの儀作爺さんになりますと、その名誉ある鉢巻も左利きも、それから惜しい事にその大身代も、どこかへなくしてしまいまして、博多名物の筆屋の職人に成り下りました。そうして斯様に老年に及びまして、眼が霞んで細かい筆毛が扱えないようになりましたために、余儀なく失職する事に相成りますと、それを苦に致しました結果、精神に異状を来しまして、一週間ばかり前に、当大学に連れ込まれるという、憐れな身の上と相成ったので御座います。
ところが不思議で御座います。正木先生がこの爺さんの発狂の動機、すなわち心理遺伝の内容を探るべく、解放治療場に解放されましてから間もなくの事で御座いました。場内の片隅に、小使が蛇を殺したまま置き忘れて行った鍬を見付けますと、早速先祖の真似を初めました。もっとも鉢巻は致しませぬが、御覧の通り最前から一度も汗を拭いませぬ。又、鍬を持っている手附きも、発狂前と正反対の左利きになっておりまして、十二時の午砲《ドン》を聞きますと同時に、鍬を投げ出して病室に帰って、サッサと食事を済まして、ゴロリと寝台の上に横になるところまで、五代前の儀十の生れ代りとしか思えませぬ。但し一度寝てしまいますと、疲労が甚しいせいか、あくる朝までブッ通しに白河夜舟《しらかわよふね》で、晩飯も何も喰いませぬ。おおかた夢の中で、曾々祖父の儀十になって、大身代でも作っているので御座いましょう。
……これが心理遺伝の第一例……御質問がありましたら御遠慮なくお手をお上げ下さい。
次に御紹介致しまするは最前から、赤煉瓦の壁に向って演説を致しております破れモーニングの小男で御座います。これは、あの空中で振り動かしております右の手附と、物を支え持ったような恰好にしている左の手と、それからあの、演説の中《うち》に使っている言葉が、有力な参考になるので御座います。
「……これは帝国の前途に横たわる一大障壁であります。今日の如く上塗《うわぬ》りの思想が横行し、糊塗縦横の政治が永続しているならば、吾々日本民族の団結は、あの切藁《すさ》を交えぬ土塀の如く、外来思想の風雨のために、遠からず土崩瓦解の運命に……」
いかがです。最前からお聞きの通り、この毬栗《いがぐり》のフロック先生の演説の中には、壁という文句
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