するやら。油断がならぬと今の世までも。昔ながらにいうその上に。あれは血統《ちすじ》じゃ扨《さて》おそろしやの。何の祟《たた》りじゃ応酬《むくい》じゃなんどと。眼指《めざ》し指さしするのが世間じゃ。そんなサナカに自分の身内に。思いがけない精神病者が。ヒョイと出て来るサア一大事じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。ヒョイと出て来るサア大変だよ。それも上流、金持ち社会で。ものに不自由せぬ家《うち》だったら。座敷牢でも作れば片付く。治癒《なお》る当てどもない病院へ。入れる必要あるまいなんぞと。アッサリ云うのは上流社会の。つらいところを知らない人だよ。すこし世間に知られた一家で。一度キの字を出したら最後じゃ。万劫《まんごう》末代|血統《ちすじ》に障《さわ》る。早い話が忰《せがれ》や娘の。縁があぶなくなるその上に。近所隣りの目下の連中に。あれは非道《ひどう》なお金の祟りよ。無理な出世の報《むく》いよなんどと。白い眼をされ舌さし出され。うしろ指をば指《さ》さるる辛《つ》らさ。御門構えの估券《こけん》にかかわる。そこで情実、権柄《けんぺい》ずくだの。縁故|辿《たど》った手数をつくして。赤い煉瓦へコッソリ入れます。もしも満員している時は。もっと届いた手数をつくして。無理な都合を院長に頼む。とかくこの世はお金の沙汰だよ。況《ま》してキチガイ地獄の沙汰だよ。閻魔面《えんまづら》した院長さんでも。すぐに地蔵の笑顔に変って。慈悲の御手《おんて》で迎える代りに。ほかの患者を極楽まわしじゃ。金があってもまずこの通りじゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。金があってもまずこの通りじゃ。身分家柄、名誉や地位なぞ。あれば在るほど精神病者の。自宅治療はいよいよ困難。赤い煉瓦へ人目を忍んで。封じておかねば安心出来ない。ところが中流社会となったら。きまり切ったる月給年俸。細い収入|生命《いのち》の綱ぞと。頼む主人や家族の中で。だれか一人が発狂しますと。借家だったら追い立て喰います。座敷牢なぞ思いも寄らない。すこし患者に手数がかかると。貯金、恩給、忽ち煙じゃ。しかもその上介抱人が。主人だったら出勤《でかた》が叶《かな》わず。奥さんだったら仕事が出来ない。又は子供が学校に行けば。あれは「キの字」の卵よなんどと。寄って集《たか》って嘲弄されます。云うに云われぬ切なさ辛《つ》らさが。たった一度に皆落ちかかるよ。残る一つの頼みの綱なら。赤い煉瓦の院長様よと。出来ぬ算段して来て見れば。どこへ行っても満員ばかりじゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。どこへ行っても満員ばっかり。しかもコイツが一段落ちて。その日暮しのシガナイ稼ぎじゃ。嬶《かかあ》は内職、娘は工場《こうば》。なぞというような一家となったら。酷《むご》さ悲惨《みじめ》さ話にならない。介抱どころか、お薬どころか。すぐにそのまま一家が揃うて。顎《あご》を天井に吊るさにゃならぬ。いっそ狂うて死んでもくれたら。まだも増しよと怨《うら》んでみても。当の本人キチガイ殿は。死ぬるどころか大飯喰ろうて。治癒《なお》る当《あ》て途《ど》もない顔つきだよ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。治癒《なお》る当てどもない顔付きだよ。こんな調子で人間世界に。麦の黒穂か菜種の馬か。花や野菜の狂いと同様。わけもわからず理屈も立てずに。ヒョクリヒョクリと現われ飛び出す。数え切れない精神病者を。無料《ただ》で引受け入院させるは。広い世間に大学ばっかり。それも寝台が何百あろうか。しかも慈善でするのじゃ御座らぬ。学生教授の研究材料。生きた標本講義の参考に。都合よいのを選《よ》り取り見取りで。アトは要らぬと玄関払いじゃ。ならば私立はどうかと見ますと。これは何しろ商売本位じゃ。みんな金ずく権柄《けんぺい》ずくめの。オエライ患者で超満員だよ……チャカラカ、チャカポコ……
 ▼あ――ア。エライ患者の大入満員。さても斯様《かよう》に持て余されたる。数も知れない狂人たちは。どこでどうして片付けられるか。さても不思議と審《しら》べてみたれば。サアサこれから又聞き事だよ。耳も聞こえず眼玉も見えない。口も動かぬ片輪《かたわ》の木魚が。見たり聞いたりして来た話が。腹は空《から》ッポ公平無私だよ。タタキ出します阿呆陀羅経《あほだらきょう》だよ。地獄めぐりのチョンガレ文句が。ドンと一段、深みへ落ちます。……サアサ寄った寄った話の種だよ。お金は要らない。聞いたらビックリ[#「ビックリ」は太字]……スカラカ、チャカポコチャカポコ。チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……

       五

 ▼スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア――あア――ア。エ――エ。さても皆さん斯様《かよう》な次第で。一人のキチガイ患者が出ますと。ほかの病気と品事《しなこと》かわって。あとに残った正気の家族が。あるにあられぬ責め苦を受けます。トテモこうして自宅《うち》へは置けない。どうかせねばと思案をしても。どうも仕様が見当りませぬ。とかくするうち無理算段した。金は無くなる、仕事は出来ない。やがて一家が干乾《ひぼ》しは眼の前。さても切なや、悲しや、辛《つ》らや……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。さても切なや、悲しや、辛らや、それも吾身は露いとわねど、お年寄られた親様はじめ。可愛い吾児《わがこ》の行末までも。生きて甲斐ない一人のために。棄てて介抱するのが道理か。人に迷惑かけないうちに。患者もろとも首でも縊《くく》って。一家揃うて死ぬのが道かや。何の因果で斯様《かよう》な憂《う》き目と泣いて怨めど肝腎カナメの。当の患者はアラレヌ眼付きで。キョロリキョロリとしているばっかり……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。キョロリキョロリとしているばかりじゃ。もとの姿は残っていても。元の心は藻抜《もぬ》けの殻だよ。人の形をしているだけに。犬や猫より始末が悪いよ。情ないとも何とも彼《か》とも。なろう事なら代ろうものをと。歎き悶《もだ》えた揚句《あげく》の果てが。切羽《せっぱ》、詰まった大罪犯す……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……。
 ▼あ――ア。切羽詰まった大罪犯す。どこか遠国《とおく》へ移転《ひっこ》すふりや。知らぬ処の病院さして。入れに行く振り人には見せて。又と帰らぬ野山の涯へ。泣きの涙で患者を棄てます。なれどコイツは捨児《すてご》と違うて。拾い育てる仏は居ませぬ。居らぬどころか行く先々では。打たれたたかれ追いこくられます。飢えて凍《こご》えてたおれた処の。木の根、草の根、肥やすか知れない。それを承知で見棄てる鬼をば。キョロリキョロリと探して見まわす。憐れな患者の名残りの姿を。はるか離れた物蔭、木蔭で。両手合わせる千万無量……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。両手合わせる千万無量じゃ。古い伝えは延喜《えんぎ》の昔に。あのや蝉丸《せみまる》、逆髪《さかがみ》様が。何の因果か二人も揃うて。盲人《めくら》と狂女のあられぬ姿じゃ。父の御門《みかど》に棄てられ給い。花の都をあとはるばると。知らぬ憂目に逢坂《おうさか》山の。お物語りは勿体《もったい》ないが。斯様《かよう》な浮世のせつない慣《なら》わし。切羽詰まった秘密の処分《さばき》は。古今東西いずくを問わない。金の有る無し身分の上下。是非と道理を問わないものだよ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。是非と道理がいえないものだよ。そんな事情で野山の涯に。迷う憐れな患者の中でも。すこし正気の残った者なら。他所の掃溜《はきだめ》あさってみたり。物を貰うて又生き延びるよ。そのうち正気に帰るにしても。そこでこの世の悲しさ辛らさが。遣瀬《やるせ》ないほど身に沁《し》み渡る。又は吾身の姿に恥じて。残る家族のためぞと思い。人を諦らめ世を諦らめて。流す涙が乞食の姿じゃ。三日続けば止められないと。聞いた気楽な世界に落ち込む。それがそこらの名物乞食じゃ。又は野臥《のぶせ》り山窩《さんか》にまじって。寺の門前。鎮守の森蔭。橋の袂《たもと》の蒲鉾小舎《かまぼこごや》で。虱《しらみ》取り取り暮しているのを。一人二人と集めてみたなら。迚《とて》も大した人数《にんず》になります。しかも左様なミジメな姿は。みんなこうした地獄のあわれを。知らぬ顔する国家や社会が。いっそ死ねよといわないばかりの。冷めたい仕打ちに消え行く数の。千か万かの一人か二人じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。千か万かの一人か二人じゃ。なんと皆さん如何《いかが》で御座る。これが普通の病気であったら。達者な者より大切《だいじ》にされて。医者よ薬よ看護婦さんだよ。柔《やわ》い寝床じゃ、良い喰べ物じゃと。あるが上にもお見舞受けます。人間ばかりか犬畜生でも。小鳥、金魚も場合によっては。後生大切《ごしょうだいじ》に介抱されます。それに引換え精神病者は。病気の正体わからぬお蔭で。赤い煉瓦か野山の涯か。いずれ免《のが》れぬ地獄の責め苦じゃ……チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。いずれのがれぬ地獄の責め苦じゃ。なれど皆さんお聞きなされませ。私が今まで木魚をチャカポコ。たたき出したる地獄のお話。病院地獄と野山の地獄は。正直正銘、金箔《きんぱく》付きの。精神病者が落ち行く地獄じゃ。尋常普通のキチガイ地獄じゃ。さてもこれから今|一《ひ》と馬力《ばりき》と。親に不孝な馬鹿声張り上げ。弁じ上げます地獄の話は。それにも一つ※[#「走」の「土」に代えて「彡」、第3水準1−92−51]《しんにゅう》噛《か》ませた。スゴイ、ドエライ地獄の話じゃ。罪も報《むく》いも何にも知らない。正気狂わぬ普通の男女が。チャント物事|弁《わきま》えながらに。不意に手足の自由を奪われ。声も出されぬ無理|往生《おうじょう》だよ。無理や無体に引擦り込まれて。タタキ込まれるキチガイ地獄じゃ。しかもよくよく調べてみますと。唐《から》や天竺《てんじく》、西洋あたりに。ズラリ並んだ大建築だよ。チャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。とても立派な大建築だよ。磨き立てたる金看板にも。新聞紙上の大広告にも、何々病院何々治療と。四角四面の能書《のうがき》ばっかり。別に地獄と書いてはないが。警察新聞探偵社なぞが。チャント中味を知り抜き乍《なが》らに。知らぬ顔する不思議な商売。天下御免の扉の内側へ。ウカと片足入れたが最後じゃ。泣けど叫べど狂えど藻掻《もが》けど。二度と出られぬ暗黒世界じゃ。そんな処が在るとも知らずに。二十世紀の文化の世界じゃ。科学知識の万能時代じゃ。法律道徳礼儀の世界と。威張り腐って歩るけたものだよ。明日《あす》は自分が落ちるか知れない。キチガイ地獄のドン底地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……

       六

 ▼チャカポコチャカポコ。チャカラカチャカポコ。あ――ア。よもや日本にゃ無いとは思うが。人を殺すにゃ短刀ピストル。麻酔薬《まやく》、毒薬、絹紐《きぬひも》、ハンカチ。数を尽くした瓦落多《がらくた》道具が。あるが中にも文明国では。一と呼ばれるホントウ国だよ。そこの首都《みやこ》のタマゲタ市《シチー》で。わしが見て来た新式手段が。意気で高尚《こうと》でハイカラ道具は。昼の日中に公々然と。巡査お医者を立会いさせて。血潮残さず指紋も止めない。ドンナ検事や探偵連中が。不審抱いて調べて見たとて。指もさされぬステキナ手段じゃ。但しお金が少々かかるが。かかる代りに利益《もうけ》が大きい。とかくこの世はお金が讐敵《かたき》じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。とかくこの世はお金が讐敵じゃ。まずは財産相続事件じゃ。政治、外交、軍機の秘密と。何か素敵《すてき》な大金儲けで。彼奴《あいつ》が邪魔じゃと思うた一念。狙《ねら》う相手が一人で歩るく。情婦《いろ》の棲家《すみか》か賭博《ばくち》の打場か。又は秘密の相談場所だの。ソッと入込む息抜き場所に。近いあたりの道筋突き止め。かねて雇うた精神病医の。慾の深いを同伴させて。ソンジョそこら
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